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介護ココロのケア

ただ存在していることに「価値がある」ということ ~そう言われても無価値感を持ち続けているあなたへ~

ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのトサです。

いきなりですが、アナ雪こと「アナと雪の女王」が、10年前(2014年)の公開作品だと知ってビックリしました。

ひゃー。月日の経がのが早い!!

大ヒットしたアナと雪の女王では、耳にしたら思わず口ずさんじゃうような歌がいくつもありますが、やはり一番有名なのは『Let It Go ~ありのままで~』ですよね。

ありのままの 姿みせるのよ
ありのままの 自分になるの
(引用:アナと雪の女王テーマ曲「Let It Go ~ありのままで~」より)

歌詞の中にある「ありのままの姿」から、「ありのままの私でいい!」というメッセージが大流行しましたよね。

そのままの私でいい。
私は私であるだけでいい。

丁度、自分をそのまま受け入れて認める『自己肯定感』という言葉も認知され始めた頃だったので、より一層『ありのままの私でいい』という言葉と合わせて広がっていったような気がします。

ありのままの、何物でもない私でいい。

それは本当にその通りなのですが、この言葉に「分かるよ、分かるんだけど…」と、そう思えない気持ちを持ってしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。

えぇ、かくいう私も、自分のことを好きになれない時期が長く、自分を拗らせまくっていたので

ありのままの私でいいと思えるようになりたい!
そのままの、何者でもない私でも、価値があると思いたい!

と、自分を受け入れようと躍起になってはうまくいかずに撃沈し、ますます自分を嫌いになるという悪循環に陥っていました。

ありのままの私を見つめて、大事にしようと思えば思うほど、そう思えない自分にがっかりして自己嫌悪して自己否定感ばかりが膨らんでいく。

だってねぇ…

私たちは「絶対的に隣の芝が青く見える」という魔法がかけられているみたいですし、完璧な人はいないので、誰しもが「欠点や弱点」を持っていて、自分にとっての劣っているように見える部分を持っている人を見たら、うらやましく感じてしまうものです。

この世界は「陰陽」「表と裏」「光と影」のように、反対のものも持ち合わせているのですから、欠点や弱点があるとすれば、同様に「長所や秀でている部分」があるのですが、不思議と自分の持っているものって「当たり前」に思えるので価値を感じられません。

そのままでいい。
私は私として「いるだけで」価値がある。
私として生きているだけで尊い。

ほんと、この言葉の通りなのに、みなさんは「うんうん、そうだよね!」と頷けるでしょうか?

無価値感や罪悪感が強い人は、きっと「ありのままの自分」に価値があるということが、どうも腑に落ちない…のではないでしょうか。

私自身、『無価値感の塊』『歩く罪悪感』というくらい、自分をちっぽけに扱っていたので、ありのままの自分でいいと思いたいけれど、そう思えないのがつらい…と思っていました。

でもどうやら、この言葉は本当のようで

私たちは、ただ生きているだけでいい。
私たちは、いるだけで与えることができている。
私たちは、ただ生きているだけでものすごい価値がある。

というのを、グリーフケアを通して理解することができました。

ご遺族がつぶやく共通の言葉

大切な人を亡くした後、残された人は大きな喪失感を感じます。

どれひとつとして同じグリーフはなく、100人いたら100のグリーフの形がありますが、大切な人・大切な命を失った人たちが共通して言う言葉があります。

もう一度、会いたい。

グリーフケアの症例検討をする中で、いくつもの声を聞かせてもらいました。
また、大切な命に宛てて書いた手紙(グリーフワークとしても有効な作業)も、いくつも読ませていただきました。

手紙やメッセージ、短歌や詩のようなものもあるのですが、それらを読ませていただく中で『会いたい』という言葉が出てきます。

遺族はいつも亡くなった家族に会いたいと思っている。
遺族の気持ちはこの一言がすべてだといっても過言ではありません。
(引用:会いたい―自死で逝った愛しいあなたへ/全国自死遺族連絡会編集)

自死ご遺族が出版された本の中にある言葉の通り、愛する人・愛する命を失った人が願うのは『もう一度、会いたい』というもの。

* * *

以前、息子さんを亡くしたお母さんの話を聞かせてもらいました。

息子さんが旅立たれてから数年が経ち、息子さんがいない日常と少しずつ折り合いをつけることができるようになってきたと言いながらも、お母さんがつぶやいた言葉は

最近は、ぜんぜん夢にも出てきてくれないのよ。
幽霊でもいいから、会いたいのにねぇ。

というもので、困ったような表情で笑顔を作りながらも、「会いたい」という言葉を噛みしめていらっしゃったのが印象的でした。

ちなみに、息子さんは36歳になられてから旅立たれました。

親が子を思う気持ちは、幼い時であっても大人になってからであっても、同じように深いものです。

* * *

今から12年前になりますが、高速道路にある「笹子トンネル」で天井が崩落し、走行中の車が下敷きになってしまうという痛ましい事故が起きました。

不運にも、トンネル崩壊の犠牲にあってしまった女性のご両親が、その後のインタビューを受けているNHKのインターネット記事があります。

記事の一番最後に、お父さんがインタビュー中につぶやいた言葉が紹介されています。

「会いたいね」

手記を読ませていただいても、お手紙を読ませていただいても、グリーフケア講座の中で実際に体験談をお伺いする中でも、どの方も全員が願うのがこの「会いたい」というものです。

何も求めていない。ただ「会いたい」。

生きているときには、ついつい「生きていることが当たり前」に思えてしまうものです。

そして、もっと何かできるようにならないと価値がないとか、もっと豊かに、もっと持たなくては役に立てなくてダメな存在だ…などと自分のことを否定してしまいます。

でも、愛する命を失った人はみな、「ただ会いたい」という願いをつぶやきます。

ペットを失った人も同じように、「あの子にもう一度会いたい」と涙を流されます。

ただ会いたいんです。

何か特別なことを成し遂げなくてもいい、離れていてもいい、器量が良くなくても、勉強ができなくても、出世していなくても、役にたてていなくても、それでも「会いたい」んです。

ペットたちであれば、それこそ「お世話をしてもらう」ばかりで、彼らが何か特別なものを形として返してくれることはありません。
でも、ペットたちが与えてくれる喜びや、抱きしめたときのぬくもりや、日々の生活で思わず笑顔になっちゃうようなささやかな出来事や、ペロペロと舐めてくれたときのくすぐったさが、すべて尊く愛おしい時間となって存在していました。

大切な人も、大切なペットも、みんなただ「存在してくれるだけで、与えてくれている」んです。

そして、それはあなたも同じです。

あなたを大切に思う人、あなたを愛してくれている人たちは、「ただあなたがいてくれる」だけで、喜びや愛おしさを受け取ることができています。

もう、究極を言ってしまうと、あなたはただ「存在している」「生きている」だけで、親孝行することができているし、お金をどれだけ積んでも叶わないようなすごいことを成し遂げているんです。

愛する命を失った人が、どんなにお金を積んででも叶えたいと切望しても、もう一度会うことは叶いません。
どんなに祈りをささげて奇跡を願っても、叶えることがことができないものです。

たった1度だけでもいいから、
もう一度、もう一言だけでも…と望むその願いは、
どうやったって叶わない願いなんです。

ありのままのダメなところがいっぱいある私で、ただここに生きているだけで、会いたいと思ってくれる人の願いを叶えることができています。

存在しているだけで、お金をいくら積んでも手に入らないほどのすばらしい「あなた」を、あなたの周りの人に与えているんです。

それでもやっぱり、無価値感があると「こんな私なんかじゃ…」と自分の価値や自分の与えているものをちっぽけに感じてしまうかもしれません。

でもね、それは関係ないんです!!

あなたの存在を歓び、受け取ってくれているいる人から見たら、あなたという存在が生きていることがすでに「とびきり」なんですから。

ついつい周りや他人と比べて「与えられているものが小さい」「私はダメだ」と思いがちですが、その比較は不必要なものです。

例えば、自分の誕生日。
職場の人から「おめでとう!」とメッセージを書いて手渡されたチョコと、知り合いの大富豪が買ってプレゼントしてくれたゴージャスなブランド物の贈り物があったとしたら…

どっちも嬉しいと感じませんか?

それぞれの力や能力によって、与えてくれるものの形は違います。
そうであっても、何かを自分に与えてもらえたら、ニッコリしたり心が震えたり、大小に関係なく「嬉しい」という気持ちを味わうはずです。

命は「役に立つから価値がある」訳ではないと、私は思っています。

その命を愛している・大切に思っている人にとっては、ただ「生きてくれている」だけで価値があるものだから。
その価値は、プライスレスなんだから!!

自分の子ども、親や友達、パートナーや趣味の仲間、ペットと呼ばれる動物たち。
どんな命であれ、自分にとって大切な存在は、何もしてくれなくても「会いたい」と思える、とびきり素敵なかけがえのない特別な価値を持つ存在です。

あなたがそう思える存在に対して思うのと同じように、あなたが「いてくれるだけでいい」と思ってくれている人がいます。

とっても残念ではあるけれど、私たちは「失うことを予見したとき」「失ってその大きさに初めて気づく」ことばかりですが、

あなたは、ただ存在しているだけで「もう存分に与えることができている」んです。

私たちは生きてさえいれば、「会いたいね」を叶える力があります。
それは、プライスレスなものです。

あなたの存在は、ありのままで溢れるほどに素敵で輝かしいものです。

だから、そんなあなたのことをもう少しだけ優しい目で見つめてあげて、あなたに会いたい人に「あなたのまま」で愛されて、あなたが会いたいを「あなたのまま」で愛してください。

今日を生きた、それはあなたのことを思っている人への最高のギフトですから。

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トサ

トサ

グリーフケア・アドバイザー

株式会社ドットコム・マーケティング在籍。 2021年、グリーフケア・アドバイザー1級取得。 2024年、動物医療グリーフケア®「ペットライフグリーフケアアドバイザー」認定。 人生で最もつらく答えのない苦しみに対峙するのが喪失体験です。『哀しむことは愛すること』という言葉を胸に、愛で見守り・愛で受け止め・愛で支えるグリーフケアを目指しています。 グリーフケア分野以外のお悩み相談・カウンセリングでは、自分に優しさを向けて思いやり、自己受容する生き方のサポートを得意とする。

  1. 私たち人間も「生もの」だから傷むもの。繊細でデリケートな自分は優しく扱わなくっちゃね。

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  3. 愛して・認めて欲しくて、自分を犠牲にする心理について ~補償行為とは~

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