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介護ココロのケア

生きているだけで価値がある。そう言われてもピンとこないあなたへ。

ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのトサです。

よく、生きているだけで価値があると言われますが、それを実感しにくい人もいっぱいいると思います。 

以前、自分のことをどうしても肯定できない、自分のことを好きになれない…というお悩みを相談してくれた方がいました。
その方が言われた言葉が、「生きているだけで価値がある」ということはその通りだとは思うけれど、自分には当てはまらないと思う、というものでした。

存在しているだけで価値がある。
いてくれるだけでいい。
いるだけで存分に与えている。

でも、過去にいじめや誰かの無配慮な言葉で自尊心を削られてしまって「私には価値がない」という思い込みの呪いをかけられてしまっていたら、生きているだけで価値があるという言葉は白々しく聞こえてしまうのかもしれません。

かくいう私も、お悩みを相談してくれた方と同じで「別に私には価値なんてないし…」と思っていた時期があるのですが、グリーフケアを通して『生きているだけで価値があり、与えることが出来ている』がストンと腑に落ちました。

グリーフワークで出てくる共通の言葉

虐めを体験して傷付けられたり、コンプレックスが強かったり、進学や就職に失敗して自分に勝手に落伍者の烙印を押したり、職場環境や結婚生活が合わずに離職や離婚を経験したり。

こんな風に「痛みを伴う経験」の傷があると、ついつい自分のことを『ダメな人間』だと自己否定してしまう方もいらっしゃいますよね。

傷があっても、自信が持てなくても、あなたという人の価値は何一つ変わらず素晴らしい物なのに、自分の心がギュッと硬くなってしまっていると、『生きているだけで価値がある』とか、『生きているだけで親孝行している』という言葉が、自分には当てはまらないように感じることがあります。

私たちは大切な人を失うと、大きな悲しみである『悲嘆(Grief)』を感じます。
グリーフには様々な表出の仕方があり、100人いれば100人のグリーフがあり、どれ一つとして同じものはありません。

私たちの心はしなやかに立ち直る「レジリエンス」を備えているとはいえ、グリーフからの回復までにはある程度の時間が必要で、その期間の間は大きく揺れ動き特別な精神の状態変化を体験します。

悲嘆自体は誰しもが感じる『正常なもの』です。
理不尽でやり場のない哀しみに襲われながらも、大きな傷がゆるやかに自然治癒していくように、死別を体験されたご遺族もやがて、大切な人のいない世界や環境に適応し、故人との新しい関係を作っていきます。
この悲嘆のプロセスのことを【グリーフワーク】または【モーニングワーク】と呼びます。 

ご遺族の方のグリーフワーク(心を回復させていく作業)の1つに、文章を書くというものがあります。

手紙の形だったり、詞や短歌など、人によって表現方法は異なり、哀しみ以外にも後悔や自責の念、怒りなどの感情を自由に書いてもらうものですが、そこに必ず共通している言葉があります。 

もう一度、会いたい。

グリーフケアの学びの中で、「お子さんを亡くされた方」が最愛の我が子に宛てた手紙や詩を、いくつも読ませていただきました。

グリーフの中でも、特に大きいグリーフを抱えると言われているのが子どもを失うということ。

『子ども=幼い子ども』ではなく、親にとっては、成人していようが所帯を持っていようが、子どもを失うグリーフは大きなものです。

実際にご遺族の方の文章をご紹介することはできないのですが、笹子トンネル事故で最愛のお嬢さんを失くしてしまったご家族の「その後」を取材されたNHKのインターネット記事がありました。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/shougen/shougen54-2/

記事の最後にも出てきますが、皆さんが言われるのが『会いたい』という言葉です。

ご遺族がグリーフワークの中で書かれた手紙、また実際にお伺いするお話の中では、子どもに対して、いい学校や社会的地位に就くことをを望んだり、何かを与えて欲しい、立派になったり、富を手にして欲しいという期待は何一つ出てきません。

ただ「会いたい」。
もう一度、あなたがそこにいてくれるだけでいい。

皆さんが願うのは、これだけなんです。

幽霊でもいいから会いたい、といって涙を流れたお母さんもいました。
それだけ「会いたい」んです。

生きているだけで十分に「与えている」

「会いたい」という願いは、子どもを亡くしてしまった人が

いくらお金を積んでもいいから叶えたいと切望しても叶わない、すごいことなんです。

たった一度だけ、もう一度、もう一言でいいから…と望むその願いは、どうやったって叶わない願いなんです。

(「会いたい」という思いから、亡くなった人が底にいるような感じがする『ちらつき』という現象を体験する人も沢山います。これも正常なグリーフ反応です。)

失ってはじめてお互いに気付くことなのですが、離れていようが、世間的から認めてもらえるような華やかな成果を出せていなくても、不器用でもみっともなくても、ただ生きているだけで、親孝行ができているんですよね。 

もう一度、会える。
あなたが生きてくれていることで、親が望む「会いたい」が叶えられるんです。

私たちは「いるだけで」必ず何かを与えることができています。

与えているものの「大小」は関係ありません。

他人と比べて「与えているものの比較」は一切必要ありません。

たとえばですが、小さな子供がクレヨンで一生懸命書いてくれた似顔絵のプレゼントと、お金持ちの知人がくれた高価なブランド物のプレゼントがあったら…

どちらも嬉しいと思いませんか?

誰かに与えることができるものは、それぞれの持つ器や力によって異なりますが、何かを与えもらったら嬉しいな!って心が震えますよね。

子どもの描いてくれた似顔絵を、大事に大事に飾っちゃうのではないでしょうか?
いつしか色褪せても捨てることが出来なくて、大事にしまって残しておくくらいの宝物になっちゃうことだってありますものね。

似顔絵やそっと届けられた言葉など、あなたにとっての宝物になりえる贈り物には『誰から見ても分かりやすい価値』は感じられないかもしれません。

人には理解されなくても、大切なものってたくさんあります。

命は『何か役に立つ』『社会的成功を収めたから』価値があるわけではない、と私は思っています。

その命を愛している人にとっては、「ただ生きていてくれるだけ」で、何物にもかえがたい価値があるのですから!!

私は子どもには恵まれず…でしたが、子どものように愛情をかけてかわいがっている「愛猫・愛犬」と暮らしています。

小さなモフモフの命たちは、私に変わってお金を稼いできてくれたり、家事を助けてくれたり…といった、なにか「役に立つ」ことをしてくれるわけではありません。

でも、もう無条件で愛おしいんです。
生きていてくれるだけで、いいんです。

ううん、生きていて欲しいんです。

いつも寝る前に、モフモフたちを抱きしめて「愛してるよ。今日もありがとう。」と伝えるのが私の夜の一コマなのですが、その後そっと祈っています。
どうぞ、大切な2つの命が、健康であり1日でもより長く生きてくれますように、と。

子どもだけではなく、親や友達、恋人やパートナー、ペットと呼ばれる動物など、自分にとって大切な存在は、「何かを与えてくれる、何かをしてくれるからいて欲しい存在」なのではなく、

何もしてくれなくても「会いたい」と思う、決して替えの効かない特別な価値しかない存在です。

あなたが誰かに対してそう思うのと同じように、あなたが「いてくれるだけでいい」と思っている人がいます。

本当に残念なことだけれど、私たちはその大切さを「失ってから初めて気づく」こともあるのですが、気付いていようがいまいが

あなたはただ、存在しているだけで「与えて」います。

私たちは生きてさえいれば『会いたいね』を叶える力があります。
それはもう、プライスレスなこと!!

あなたの存在は、あなたがそうは思えていなかったとしても、本当に愛おしく素晴らしいものです。

だからね、そのままのあなたで、今のあなたのままで微笑んで、あなたが会いたい人・あなたに会いたいと思っている人に『あなたのまま』で愛し、愛されてください。

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トサ

トサ

グリーフケア・アドバイザー

株式会社ドットコム・マーケティング在籍。 2021年、グリーフケア・アドバイザー1級取得。 2022年、動物医療グリーフケア・アドバンス講座終了、23年10月よりペットライフグリーフケアアドバイザー認定に向けてステップアップ予定。 人生で最もつらく答えのない苦しみに対峙するのが喪失体験です。『哀しむことは愛すること』という言葉を胸に、愛で見守り・愛で受け止め・愛で支えるグリーフケアを目指しています。 グリーフケア分野以外のお悩み相談・カウンセリングでは、自分に優しさを向けて思いやり、自己受容する生き方のサポートを得意とする。

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