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介護ココロのケア

「無価値感」をもつあなたが大人であるという事

はじめまして!
ケアカレッジで「介護のココロのケア」というテーマで『心理学』『ココロのこと』についての記事を担当させていただく、グリーフケアアドバイザーのトサと申します。

記念すべき(?)最初の記事を何にしようか?と迷いまくりマクリスティ…だったのですが、介護はあまり関係ないかもしれませんが、自分にはちゃんと【価値がある】【そのままのあなたで大丈夫】と思っていただけるような、そんなお話をさせていただこうと思います。

自己肯定感とは?

最近【自己肯定感】という言葉を耳にすることが多いのではないでしょうか?
本屋さんなどでも自己肯定感を高める・上げるための本などが売れているようですが、自己肯定感というのは文字通り

●自分を肯定する力 = 自分の価値を受け取れている状態

であり、長所も・欠点も含めて自分を「しょうがないよねー」と受け入れることができる力の事です。(良い状態の自分を肯定するだけではなく、ダメな自分をも肯定するというのが自己肯定です)

どんな自分でもOK!
これが私!

こんな風に思うことが出来たら「無敵」なのですが、私たちは成長の過程で少しずつ『自分のままではダメなのだ』とい思い込みを重ねて行ってしまい、自分を肯定することが難しくなっていきます。

社会性を身につけ成長していく中で、私たちは様々なことを体験します。
その体験がすべて素晴らしければいいけれど、うまくいかなくて失敗したり、良かれと思ったことが裏目に出て傷ついたりすることもあります。
また、大人や先生、周りの友人からの言葉や態度に傷付く(ハートブレイク)ことで、「このままの私では愛されない」と感じてしまい、自分の持つ素敵な価値を見失っていってしまうことが多々あります。

自己肯定感を上げていく(高めていく・取り戻していく)ことが、より自分を寛がせて幸せにする大事なカギではありますが、長年自分を否定してしまっていたり、手痛い傷を心に負ってしまっている時には、自分を受け入れたくても「無条件」で自分を愛する・受け入れることができません。

自己肯定の方法や自分を愛するという事については、また別の機会に書きたいと思っていますが、自己肯定できずに苦しんでいる人の多くが持つ感情に【無価値感】というものがあるので、今日はその無価値感について少しお話させていただきます。

無価値感とは?

読んで字のごとくですが「自分には価値がない」と思っている心理状態、自己価値を受け取れない状態です。

心理的状態を言葉で表現するならば

どうせ私なんて!!

という気持ちが渦巻いてしまっている状態で、実際にこの言葉をつい口に出してしまう方も大勢います。

「こんな私が」「どうせ」「やっぱり~ダメだ」というように、自分の口癖から「自分が無価値感を持っているか」を知ることもできます。

無価値感の中にある「どうせ私なんて…」という言葉は様々な事象と結びつきますが、その最たるものは「どうせ私は愛されない」という気持ちです。

自分は愛される存在ではないと感じてしまうのは、本当に悲しく辛いものです。
(似た感情で罪悪感というものものあり、こちらはさらに自分を追い込み「私は汚れている・罪深いから愛されてはいけない」と自分を罰してしまう感情で、罪悪感を持つ人の多くは同時に無価値感も持っています。)

無価値感を持っていると、様々な事を我慢してしまいます。

1)なんで~してくれない、なんでこうなの??

自分には価値がないと思っているので、自分の意見・願いを言葉に出せずにモヤモヤとしてしまいます。(期待は裏切られるの法則に基づき、期待して勝手に傷つく状態が多くあり、ますます言えなくなります。)

当たり前なのですが、人の心の中というのは分かりません。

だからこそ「伝える」という事はとても大事なのに、何も伝えることをせずに「読み取って欲しい」「察して欲しい」という思いだけは強くなってしまい、結果として分かってもらえなかった…と苛立ったり傷ついたりして、私には価値がないからなんだ…とより一層無価値感を強めるという悪循環を起こしていきます。(言わば自作自演です)

2)~してほしいな!

対して自分に対する価値をちゃんと受け取れている状況では、自分の願いを言葉にして伝えることができます。(アサーティブコミュニケーションができます)

無価値感を持つ私たちの心理

私たちは生れた時から無価値感を持っているわけではありません。

赤ちゃんから少しずつ成長し、自分で出来ることを増やす「自立」をしていく中で、このままの自分では愛されない!!と感じた分だけ、足りない・補おうと思ってしまいます。

これは誰にでもある普通の感情ですが、欠点のある自分・足りない部分がある自分でも「愛される存在だ」という体験がうまくできない時に、自分の心の痛みを埋めるために

私が愛されないのは私に価値がないからだ

と、自分を守ろうとして「無価値感」を選び、それを大事に持ち始めます。

それは本当にちょっとした事がキッカケだったりします。

例えば、学校で自分が小さな失敗をしてしまい、先生に「大丈夫だよ」と言ってもらいたくて声を掛けたら、先生は別の作業で忙しくしていて「後にして!!」と何の意図もなく言ったその一言に傷付いてしまい、自分には価値がない…と思い始めることだってあります。

またある人は、お母さん同士の会話で「本当にうちこの子なんて勉強もスポーツも苦手でダメなのよね~」という人前での謙遜のような本音ではない言葉を耳にしてしまい、自分はダメだという烙印を胸に刻んだり、きょうだいとの比較で自己価値を失くしてしまう事もあります。

失恋や職場での失敗体験などを通しても、自分の価値が分からなくなることもありますし、様々なシーンで自分を否定するクセが発動するたびに、自分には価値がないから愛されない・認めてもらえないんだと自責の念を強めます。

でもね、自分を責めるってすごく苦しくて辛いんです。

だから、心が悲鳴を上げる前に「そうだ!私には価値がないから愛されないんだった!!」という無価値感を採用して、うまくいかない自分を助けようとしているとも考えられますよね。
その奥にある気持ちは、自分では気づけていなくても「自分を愛するが故」のものなんです。

私たちは成長する上で「より良くなりたい」という意欲を持っています。
また、画一的で飛び出すことをヨシとしない環境で育ってしまう事も起因し「~ねばならない」という完璧主義を持つ人もたくさんいます。

私たちは本来、まんまるではなくデコボコといびつな形をしていて、足りないところがあるからこそ誰かの魅力や力に助けてもらったり、自分の持つ特別な価値を他の人を助けることに使えるのですが、そのデコボコを嫌います。

みんな違って、みんないい。

というのは「金子みすゞさん」の言葉ですが、その違いである欠点や長所を否定し、欠点や足りていない部分にフォーカスしすぎて「どうせ」「価値がない」と思ってしまっている意識が強いのが無価値感が強い状態の時です。

私が好きな心理学の言葉があるのですが、その言葉とは

欠点は誰かに愛させるためのものであり、愛すべきものである。

という言葉です。

誰かの力を発揮させるために用意された、自分の不完全さだと思えば、その欠点すら愛おしく感じられますよね。
誰かを助けたい・愛したいと願うのが、私たち人間の中にあるものですから、欠点がない人は「完璧」ではあっても、愛される存在かどうか…はまた別の話なんですものね。

無価値感をとは、自分はそのままでは価値がないと感じる気持ちですから、このように考えてしまう事が多々あります。

  • 「無価値」だから受け取ってはいけないと受け取りを拒否する。
  • 「無価値」だから役に立つことをして初めて認められると犠牲をする。
  • 「無価値」だからひどい扱いを受けてもしょうがないとあきらめる。
  • 「無価値」だから自分で自分をないがしろにする(大切にしない)。
  • 「無価値」だから仕事もうまくいかないし、恋人もできない。

愛されている事を受け取れなかったり、認めてもらう・愛してもらうために自分を犠牲にして差し出したり、ひどい扱いを我慢したりして、自分を蔑ろにして傷つき続ける場所に自分を置いてしまいます。

なぜ、こんなにも自分を犠牲したり傷つく場所に置いておくかというと

価値のない私でも、愛して欲しいから

なんです。

認めて欲しい、分かって欲しい、受け入れて欲しい、助けて欲しい、理解して欲しい、突き詰めて言うと『ダメな私でも愛してくれますか?』と言っている状態なんです。
それだけ愛に飢えている状態でもあるんです。

あなたは今、20歳を過ぎた大人ですか?

無価値感を癒していくには、様々なアプローチがありますが私が好きなのは「愛」を受け取るという方法です。

私は愛される・受け入れてもらえるに値する価値がない!!と小さな頃から何度も自分に教え込むようにして「無価値感」を育ててきてしまいますが、あなたが今、すでに20歳を超えた大人になれているのであれば、誰からも愛されなかったというのは「愛されたことを分からなかっただけなんだよ!」という話をさせていただきます。

ずっと昔になりますが、ローマ皇帝フリードリヒ2世という人が、とても悲しい実験を行いました。

その実験とは、赤ちゃん50人を集め、命を活かすための最低限のお世話だけはしてもいいが、愛情を注ぐような行為である「赤ちゃんの目を見ること」「話しかけること」「笑顔を見せてスキンシップを取る事」を禁止するという実験でした。

すると赤ちゃんは誰一人として1歳の誕生日を迎えることなく死にました。
50人全員が、です。

さらに、心理学者のルネ・スピッツも後世で似たような残酷な実験を行っています。
戦争で孤児になった55人の乳児を集め、フリードリヒがしたのと同じようにスキンシップや愛情を一切禁止して赤ちゃんのお世話をした結果は、とても悲しく残酷なものでした。

  • 27人 … 2年以内に死亡
  • 17人 … 20歳を迎える前に死亡
  • 11人 … 20歳以上も生き残ったけれど知的障害・情緒障害が残ってしまった

この結果からも分かるように、私たちは「衣食住」という基本的なものが与えられただけでは、20歳の大人になることは難しいんです。

大人になれたということは、それが両親ではなかったとしても、祖父母や親戚、ご近所の方、学校の先生、地域の民生委員や町内会の人…誰かは分かりませんが「愛してくれた人」がいるからこそ。

20歳を超えて生きているという事は「誰かがちゃんとあなたの価値を認めて愛してくれていた」からだという事なんです。

愛されないと大人になれないという実験を受けて、私はちゃんと愛される存在だったんだ!という見方をすることで、自分に関わってきてくれた人がどんなやり方で自分に愛を持っていたのかを振り返って見る事も、自分が愛されない存在だと誤解した記憶を書き換えるのに役立ちます。

その人たちは、あなたに価値がある・ないに関わらずあなたを愛してくれたからこそ、あなたはちゃんと20歳を迎えることができたんですものね。

もしかしたらそれは、わかりにくい愛の表現だったかもしれません。

不器用だったかもしれませんし、あなたにストレートに伝わらないやり方だったかもしれません。

与えられたものに対してあなたが自分の価値を否定しているがゆえに受け取れなかったものがあったかもしれません。

でも、大事なのは『愛されていた』と【あるを前提として見る】事なんです。

私達は「ある」を思って探せば「ある理由」を見つけます。
その逆に「ない」と思って探せば「ない理由」を見つけてきます。

子供時代や過去の失敗、悲しい体験や自己価値を失わせるような出来事を振り返った時にあなたが泣いていたら、今現在の少し大人になったあなたが、泣いていて傷付いている昔のあなたをギュッと抱きしめてあげましょう。

どんな風に愛して欲しかったかは、あなたが一番良く分かっていますから。

「悲しかったね。そうだよね、こうやって愛して欲しかったんだもんね。寂しかったよね。辛かったよね。」って何度も背中や頭をさすったり撫でたりしてあげて寄り添い続てあげましょう。

そうやって自分を大事にすることが、自分の価値を認めることに繋がっていきます。
そしてこれが、自己受容・自己肯定でもあるんです。

あなたには、ちゃんとたくさんの価値があります。

それが傷ついて分からなくなっているかもしれませんが、ない前提ではなく「ある前提」のメガネをかけて見ることも、自分を大事にしてあげるためにとっても大切な方法だと思っています。

今、あなたは20歳を超えていたら、ちゃんとちゃんと、愛されたから大人になれたんだと自分のことを抱きしめることができますように。

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トサ

トサ

グリーフケア・アドバイザー

株式会社ドットコム・マーケティング在籍。 2021年、グリーフケア・アドバイザー1級取得。 2022年、動物医療グリーフケア・アドバンス講座終了、23年10月よりペットライフグリーフケアアドバイザー認定に向けてステップアップ予定。 人生で最もつらく答えのない苦しみに対峙するのが喪失体験です。『哀しむことは愛すること』という言葉を胸に、愛で見守り・愛で受け止め・愛で支えるグリーフケアを目指しています。 グリーフケア分野以外のお悩み相談・カウンセリングでは、自分に優しさを向けて思いやり、自己受容する生き方のサポートを得意とする。

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