ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのマミコです。
2月の頭に「卵巣嚢腫」の摘出のために入院。
開腹手術の後に療養期間をいただいておりましたが、今月から職場復帰を果たすことができました。
摘出した卵巣嚢腫のサイズは、なんと39cm×25㎝という巨大なもの。
お腹の中に「A3サイズ」くらいの膨れた病変が入っていたなんて、そりゃぁ、お腹は膨れますし、胃や腸が押されて食べるのが苦しかったわけですね。
術後の傷の経過は順調で、傷周りの腫れやしこりのようなものが消えた後は、お腹回りが2サイズダウンしました。
手術に関連する部位への痛みや不調はないものの、今回私が悩まされたのが『背中の痛み』と『体温調整の不具合』です。
背中の痛みは、手術中に変な体勢で筋をおかしくした…のと、硬膜外麻酔の管が痛みに触れていたようで、今はすっかり良くなりましたが、痛みを感じなくなるまでに2か月近くかかりました。
そしてもう一つが、体温調整の不具合です。
術後に自律神経のバランスが崩れ、心臓がドキドキとしてくると「くるぞ!」と分かる感じで体全部が熱くなり発汗。
しばらく熱さに包まれたと思うと、今度は全身がガタガタするほどの悪寒に包まれて発熱。
なんだかんだと1日中、体温が勝手に乱高下するのに振り回されています。
自律神経の乱れかぁ…。
心臓がどきどきしてきたり、お腹の奥から熱さを感じ始めたときに「深呼吸」して副交感神経を優位にさせよう!と、できる対処を続けているものの、体のリズムが今まで通りになるまでは付き合っていくしかないので、体温コントロール法をいろいろ試行錯誤してみようと思っています。
私は「グリーフケア」を学び実践していますが、自分が病気だと分かってから検査結果が出るまでの期間に、とても気持ちが揺れ動きました。
そこで得られた体験や学びは、グリーフケアを実践していくうえで私には大きな財産となりました。
得られた学びや気付きも含め、またここからチョコチョコと「ココロのケアコラム」をお届けしていけたらと思っていますので、改めましてどうぞよろしくお願いします。
…とか言いながら、今日は病気やグリーフケアとは異なる『自立』についてお話させていただきます。
弱さを嫌って身につける自立
突然ですがみなさんは「自立」と聞いてどんな印象をお持ちですか?
なんとなーくではありますが、キャリアも順調に重ねて大抵の事は何でも出来てしまう「カッコよくてクール」な印象はありませんか?
自立した人をイメージするとき、ぬいぐるみが大好きでふんわりしたかわいらしい雰囲気…というのを思い浮かべる人は少ないと思います。
どちらかというと、スーツをパリッと着こなし、無駄口も叩かず、隙がなくテキパキしている”男性的”なイメージが強いと思います。
私たちは生まれてすぐは【依存】の状態です。
自分一人ではトイレに行く事も食事をとる事も出来ず、全面的にお世話をしてもらわないと生きていけません。
成長するにつれて、少しずつ依存の分量が減っていき「自立」していきます。
生まれてすぐは寝ているしかできなかったのが、寝返りを打ってズリズリと動けるようになり、ハイハイやつかまり立ちができ、いつの日か歩き出せるようになります。
泣いて訴えるしかできなかったのに、大人の話す言葉を真似て言語を覚えてコミュニケーションの幅を広げていきます。
歯が生えて食べられるものが増え、誰かに手伝ってもらわなければ食べられなかったのに自分で食べられるようにもなって行きます。
家族だけの小さな社会から、幼稚園や学校という広い世界に飛び出し、友達や先生との出会いを通し「新しい事柄」を沢山吸収していきます。
これらの「成長過程における自立」は望ましいものですが、その自立と一緒に私たちは「望ましくない自立」もしてしまう事があります。
自分が成長してより多くの事が出来るように、と望ましい変化や成長のために「自分でやれる事を増やす」というのは前向きな自立ですが、私たちは様々な経験をする中で
傷付いたり寂しい思いをしたり、悲しい痛みを体験
します。
泣き虫な事をからかわれて悔しい思いをすれば、歯を食いしばって「泣かないように」と涙をガマンして自立します。
人の言葉で傷付いてしまえば、その言葉に傷付かない様に自分を守る力を手にし(正論・言い返すテクニックが上達するなど)、自分自身への鎧を厚くして自立を強固にします。
自分に出来ないことを「助けて」って頼んだときに、見放されたり欲しかった助けを得られなければ、この先に同じ痛みを味わって傷付くことがないように、人に頼らず何でも自分でやれる力を身に着けようとして頑張ります。
自分に価値がないと感じる体験をすれば、弱音を見せたら嫌われるからと、ボロが出ない様にきちんとすることを自分に課し、必死に自分の足で立とうとします。
何でも一人でやれる自立の状態になるために「弱さを嫌って自立を身につけた面」があれば、
それだけ自分に対して厳しく・自分に対して強い制限をかけ、頑張って自立している
という事です。
自立3点セットとは
自立というのは大人になる上で、また、社会生活を送る上で大事なことです。
ですが、なんでもそうですが「過ぎる」と自分を苦しめます。
自立の危険性というのは、「自立の先」にあります。
依存
↓
傷付いた自分を嫌って自立
↓
どんどん自分に厳しくなる
↓
孤立
↓
燃え尽きる(バーンアウト)
↓
死への誘惑(デットゾーン)
といった形で、「自立が過ぎると燃え尽きる」ことに繋がります。
自立は”何でも自分で抱えてひとりでやろう”とし、助けを求める事が出来ません。
出来ないということは「死」と同じくらいに屈辱ですし、「できない自分=価値がない」と感じ、自己否定を強めます。
そもそもとして、自分には価値がないと思って身につけた自立であれば…
「自分はダメなんだからしっかりしないといけない」、「認められるためには頑張らなくきゃダメだ!」と、自分への厳しさがどんどん強くなります。
弱みを人に見せられず、自分に鞭を打ち続けると、私たちはこんな状態になります。
・頼れない(一人でやってしまう)
・甘えられない(ガマン強い)
・弱音を吐けない(グチや本音を言えない)
これは頑張って自立した人が持つ【自立3点セット】と呼ばれるものです。
あなたは、この3つを持っていませんか??
フル装備していたら、随分と頑張って自分を自立させてきたということですね。
本来、自立することは悪い事ではありません。
けれど「弱さや痛み」からスタートした自立は、本来の自分を置き去りにしてしまうので、自立すればするほど「生きづらさ」を感じるようになってしまいます。
過去に辛かった体験を通して「あんな思いはしたくない」と自立を強めていくわけですから、自分がどうしたいのか?という大事な自分の気持を置き去りにしてでも「傷付かないこと」を優先してしまいます。
だから、自立すればするほど
本当の自分・本来の自分らしさの上に鎧を着こんだ状態になり、自分の心・感情から遠ざかって行ってしまいます。
自分の痛みや弱さを嫌って身に着ける「自立」
依存時代に傷ついた分だけ、自立は強くなります。
傷付いた事をバネにした自立は、ネガティブな自立です。
「頼っても助けてもらえなかったから自分で何とかするしかない」
「依存は辛いだけ。自分一人でできるようにならなければならない」
「誰も当てにできない」
という【思考】により、自分の中にある依存(欲求)を一生懸命に抑圧(我慢させる・押さえ込む)自立の仕方をしてしまいます。
「ネガティブな自立」につながる思いを掘り下げると、原動力が【あんな苦しみや辛さは、もう二度と体験したくない】というものであり
感情的には【怒り】を使って自立している状態です。
怒りは感情の中でも「パワフル」で「力のある」ものです。
それゆえに、何かを成し遂げる際には大きな力になりますが、それだけ強いものゆえに「燃え尽きる」ことにもつながります。
そこまでして、頑張って自立しているんです。
正しさの争いと観念(ビリーフ)
傷付かないよう自分を守るために身に着けた自立ですが、それを身に着けるまでに通る道に『期待』というものがあります。
「期待は裏切られるの法則」というのがりますが、まさにその通りに「依存しない代わりに期待したら、見事に裏切られる」という体験を通し、より一層、自立を強めることになります。
依存心を捨てて自立しようと思うけれど、心の中にはニーズ(要求)が隠されているために、私たちの思考は巧妙に手口を変えて「期待」というものを使います。
要求しても叶わないから、要求せずに「期待」するようになるんです。
頼んでもやってもらえない・助けてもらえないからけれど、自分には難しいことやサポートしてほしい気持ちがあるときに、
「分かってくれるはず」
「してくれるだろう」
という思いを持ちますが、自立していると、口が裂けても「助けて」「お願い」とは言えません。
だから、「だろう」と期待します。
けれど、期待というのは「勝手に抱いている願い・思い」。
なので、往々にして相手には届いておらず、期待は裏切られます。
そして、期待が裏切られることを繰り返すことで『分かってもらえると思わない方がいいんだ』という思い込みを自分の中に作るようになります。
この思い込み、または自分用のルールの事を【観念(ビリーフ)】といいます。
私たちは自己防衛するために、さまざまな「マイルール」を作ります。
それは傷ついた分だけ自分を守り・正当化するためのものなんです。
様々なルールを自分の心の中の「ルールブック」に書き込み、二度と傷つくことがないように、自分を必死に守り始めます。
観念(ビリーフ)は様々なものがありますが、自立時代の代表的な観念として次のようなものが挙げられます。
●誰かに頼らずに一人でやるべき
●弱音を吐くなんてみっともない
●小さなことはガマンして成長すべき
このような観念を持ち自分を自立させると、先ほどご紹介した【自立3点セット】をフル装備する状態になります。
そして、本当にしんどくても助けを求めることが出来ず、頑張り過ぎて燃え尽きる寸前まで追い込まれてしまいます。
また、痛い思いをして傷ついた自分を「正当化」させるために様々な観念を持つわけですから、ルールを理論武装する必要も出てきます。
理論武装して相手を言いくるめるために、【正しさ】にこだわりを見せることも増えていきます。
何が間違いで、どうすることが正解なのか??ということへのこだわりが強くなります。(心理学的には「正しさの争い」といいます)
傷が痛い分だけ、正しさに固執し、負けを認めることが出来なくなります。
負けること=傷付くことなのですから、「絶対に負けられない!!」と常に競争する心理が働きます。
何よりしんどいのは「ごめんなさい」が言えなくなることです。
人間は誰しも不完全です。
人の数だけルールや観念があり、答えもそれぞれ違います。
ある人から見たら間違っている・うまくやれていないことであっても、それを認められずに自分の正当性を主張しなくてはいけないのですから、当然のように逆切れしたり逃げたりします。
でもそうすると【罪悪感】が刺激されてしまうんですよね。
罪悪感というのは自分を幸せにさせない強く苦しい感情です。
問題の裏に罪悪感あり!と言われるほどに、罪悪感は自分を苦しめるものですから、できればそれを癒して行きたいのに、自立して正しさの争いのステージで孤立すると、どんどんと罪の意識も重ねてしんどくなります。
その正しさは自分を幸せにしているか?
ネガティブな自立の背景を見てきましたが、自立して「助けてが言えない」状態になるには、そうするしかなかった背景があるという事を見てあげることはとっても大事なこと。
私たちは誰しもが「ネガティブな要因」をきっかけに、無理やりに自立した傷を持ちます。
自立の中で作られる「観念」が多ければ多いほど、細かければ細かいほど、自分も周りをも息苦しくさせてしまいます。
自分が「しんどいなぁ、もう少し楽に生きられたらいいのになぁ」と感じたときは、自分を縛る様々な「思い込み」に対して、こんな問いかけをしてあげてください。
その思い、私の持つ正義は私を幸せにしている?
私のルールは、私を笑顔にできている?
思い込みやルールをすぐに手放すことはできなくても、気付くということがなければ手放すことはできません。
だからまずは「気付く」「知ろうとする」ということが大事です。
自立は「過ぎる」としんどいものですが、決して悪い面だけではありません。
自分にできることは自分でやろうとするために、大事な力でもあります。
ですが、それが自分を孤立させてしまったり、悩みにつながるほどになっていたら、自立を少し緩めて【相互依存】のステージを目指したいものですね。
相互依存とは、自分の弱さを認め、出来ないことはて助けてもらう、助けを「受け取る」事を自分にヨシと言ってあげること。
そして自分の強みは、周りを助けることに使い「与える」ということ。
与えて、受け取る
win-winの関係性
を目指すということです。
あなたがもし「自立3点セット」を持っていたら、だいぶお疲れだったり、息苦しさを感じているのではないでしょうか?
ちょっと肩に力の入り過ぎている頑張り過ぎの自分に、どうぞほんの少し「もっと楽にゆるんでいいよ」といってあげられますように。