ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのトサです。
突然ですが、料理研究家の「土井善晴さん」をご存じでしょうか?
食というのは「身体を作る基礎」となるものだからこそ、自分のために、愛する家族のために、栄養バランスの取れた”ちゃんとしたお料理”を作らなきゃ!!と力が入っちゃうことってありますよね。
お料理が好きならばまだしも、苦手意識があったり、料理が嫌いな人にとっては「日々の料理をする」ということだけでも重労働。
好きであっても「手抜きしたい」って思うことだってありますよね。
食事は大切なものだからこそ、しっかりしなくてはいけない!!と自分を追い立てるようなときに思い出すのが、土井義晴さんが提唱された『一汁一菜でいい』という言葉です。
一汁一菜とは、ご飯と具だくさんのお味噌汁、そこにお漬物のような一菜があれば十分というもの。
具だくさんのお味噌汁自体も、取り合わせを考えて…ではなく、冷蔵庫にある残りやさいを放り込んでOK!とおっしゃっていて、そのおおらかな視点にホッとしますよね。
そんな土井先生の著書「くらしのための料理学NHK出版 学びのきほん」を読んだ際に、とっても暖かい言葉があり、自分を優しく労う気持ちになれるので、ご紹介させていただきます。
「ちゃんとしたい」の気持ちに隠れているもの
「くらしのための料理学」は、料理文化としての「日本料理」の歴史やあれこれについてを、土井先生の視点で語られている一冊。
その中で土井先生は、
お料理をしたいのは、ちゃんとしたいから。
と語られています。
多くの女性、あるいは男性が、しあわせな家庭を持ちたいと思えば、「お料理を頑張ろう」と思うでしょう。愛する人にお料理を作ってあげたい、子供が生まれたら自分で作ったお料理で育てたいと思うはずです。
それはなぜでしょう?お料理したいと思ったのは、「ちゃんとしよう(ちゃんと生きよう)」と思ったからではないでしょうか。人の気持ちって、ごまかせないんですね。「ちゃんとしよう」と思わないなら、お料理なんてしようと思いません。自分一人の食事なら、だれからも強制されないのですから。
(引用:くらしのための料理学NHK出版 学びのきほん /土井善晴さん著)
まさに!!って、思わず首がもげるんじゃないかと思うほど赤ベコりました。(激しく頷くさま)
苦手なことであっても、はたまた新しい挑戦であっても、物事に向き合って「頑張るぞ!」「結果を出すぞ!」と努力する裏側にあるのは
ちゃんとしたい
という素敵な思いなんですもんね。
土井先生は「人の気持ちって、ごまかせない」とおっしゃられていますが、これもしみじみ染みてくる言葉です。
「ちゃんとしたい」という思いは、誰かを喜ばせたい、認めてもらいたいという自分の素直な気持ちが原動力ですもんね。
そして、この「ちゃんと」というのは、時にとっても過酷だったりします。
苦手なことを頑張らないと「ちゃんとした形」にならなかったり、不得手なことに挑戦しないと「ちゃんと」できないと思っていれば、自分に鞭打って必死に努力させてしまいます。
「ちゃんと」向き合っているからこそ、しんどさを感じるんです。
別にどうでもいいや…と思っていることであれば、しんどさは感じませんものね。
そして思い出して欲しいのが、ちゃんとしようとしてしんどくなっているというのは、自分のために・愛する人のために・周りの人のためにという「愛ある動機」があるということ。
より良く成長したい、より幸せになりたい、より豊かになりたい、より愛したいからこそ「ちゃんとしよう」って頑張るのですから。
頑張っているからこそ、要領よく、ね!
さらに土井先生は、頑張り過ぎちゃう人に向けて、こんなにあたたかい言葉も届けてくれています。
私は料理研究家として(中略)30年以上が経ちました。その間に(中略)テレビや雑誌では手抜き料理や時短料理が流行りだしました。それは今も続いています。何度もそういう仕事の依頼がありましたが、一度も受けたことがありませんし、これからも受けません。その理由は、家庭料理をしている人を尊敬するからです。だから、手抜きなんて言葉を使って自分や家族を傷つけて欲しくないのです。手抜きをして、らくをしても、しんどいという心の重さは無くならないからです。
そこで私が勧めたいのは、手を抜くのではなく、「要領よくやる」「力を抜く」ことです。力を抜くなら堂々と自信を持って抜いて欲しいのです。毎日のことですから、無理をしないことが大事です。全力の5~6割でいいと思います。
(引用:くらしのための料理学NHK出版 学びのきほん /土井善晴さん著)
目の前に与えられている「苦手なこと」「その日がんばらなくてはいけないこと」「越えなくてはならない壁」に向き合うときに、できれば少しでも軽やかにラクチンにやりたいと思うものです。
やりたくないことに向き合う自分が、少しでも要領よく作業をする際に「手抜きした」って思うと、心のどこかに小骨のように引っかかるものが生まれます。
それを『罪悪感』という言葉で表現することもありますし、『無価値感』と呼ぶこともあります。
でも、「手抜き」という言葉を考えてみると、その後ろ側には『ちゃんとしないといけない』が隠れているんですよね。
ちゃんとしなくちゃいけないことから「手を抜く」からこその、手抜きなんですものね。
そして土井先生が仰っているように、手抜きをしたところで「やらなくてはいけない目の前の物事」には向き合っているんです。
やりたくないことであっても、たとえ少し力を緩めて「手抜き」したとしても、しんどい思いを感じながらも物事をこなしているんです。
『手抜きをしている』って褒め言葉で使われませんよね。
どこか後ろめたいような、申し訳なさが潜んでいる言葉です。
確かに全力で「ちゃんと」しなかったとしても、苦手なことや不得手なこと、その日の体調でしんどいと思って「あえて手抜き」した時に、それをどこか後ろめたいものにしてしまったら、頑張った自分が報われませんよね。
そこで土井先生は、こんなに暖かい言葉をプレゼントしてくれています。
手を抜くのではなく、「要領よくやる」「力を抜く」こと、って。
毎日のルーティーンのようにこなさなくてはいけないことや、不得手なことにエネルギーを使い過ぎないように、自分に無理させずに行動させてあげるために「要領よく」「力を抜く」と言葉を置き換える。
たかが言葉、されど言葉。
「手抜き」というと感じる後ろめたさが、「要領よくやっている」に置き換わると、途端に仕事が出来ちゃう人に早変わり!
「力を抜く」というのも、気負わず楽しく仕事をしている感じが漂ってきますよね。
決して自分の頑張りを否定しないであげるって、自分を愛するために大事なこと。
だってね、手抜きだろうがなんだろうが、行動していることに変わりはないのに、言葉一つで「残念な感じ」にしちゃったら、自分がかわいそうですもんね。
それともうひとつ、土井先生がとっても大切なことを教えてくれています。
毎日のことですから、無理をしないことが大事です。全力の5~6割でいいと思います。
私たちは子供時代から「きちんとすること」「ちゃんとやり遂げること」「全力を尽くすこと」が大事なことだと言われて育ってきました。
もちろん、やれる範囲で頑張ることや努力することはステキなことだけれど、そもそも…
100%の全力って、そんなに毎日続くものでしょうか?
とっておきの時に「全力で頑張る」ことはできても、毎日100%を出し切るなんて不可能ですよね。
それに、余力を残しておかずに100%を注いでしまっているところに「あのー、これもお願いしたいんですが…」と言われても対応できなくなっちゃいますから、余力って絶対取っておくべき!!
頑張り屋さんほど特に、毎日の仕事も、5~6割の出力を”意識して”すこし力を緩めて取り組んでみてください。
多分ね、その5~6割の出力は、他の人が思っている8割くらいの出力のはずですから。
仕事は短距離ではなく長距離走で、長く続いていくものです。
全力疾走していたら、長い期間持ちません。
力を調整して、ペース配分しながら長くずっと走っていくためには、余力を持っておく必要があります。
疲れ切ってしまわないために、長く安定して続けるために「あえての6割出力」をする。
ぜひぜひ、今頑張っている「ちゃんとしようとしている自分」の気持ちを素敵だと分かってあげて、そしてその上で頑張り過ぎずにゆるっとしながら、自分に優しい目を向けてあげられますように。