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専門家コラム

本人の意志を見失う終末期について

100歳の患者さんが教えてくれたこと

「このまま生かしてください。死なせないでください」
その言葉は、懇願というよりも命令に近い響きを持っていました。
病棟看護師の私たちは、100歳を超えた高齢者の体調が急変するたび、延命のために全力を尽くしました。
しかし、ふとした瞬間に胸をよぎるのです──これは本当に本人が望んでいる最期なのだろうか?と。

終末期の現場で、本人の声がかき消されることは珍しくありません。
家族の想い、経済的な背景、医療の慣習……さまざまな要素が重なり、気づけば「本人のため」という名のもとに、本人不在の選択が繰り返されている。
その現実を、私はこの高齢者のケースを通して痛感しました。

事例:100歳を超えた患者さんと家族の延命要請

終末期医療や看取りの現場では、本人、家族、医療者・介護者が同じ方向を向くことが理想とされます。しかし現実には、価値観や感情、経済的背景などが絡み合い、「本人の意志」よりも「周囲の声」が優先されてしまうケースも少なくありません。
私が現場で出会った、100歳を超えた患者様のケースは、その現実を痛烈に感じさせるものでした。
その方は戦争経験者であり、亡き夫の功績によって軍人恩給を受けていました。入院中、何度か体調が悪化しましたが、そのたびに家族から「死なせないでくれ」と強い口調で言われました。その言葉は、懇願であると同時に、私たち医療者への圧力のようにも響きました。看護師になりたての頃でしたので、それほど大切なご家族なのかと感動したことを覚えていますが、軍人恩給受給者である患者様に対するご家族へのその言葉の意味がどういうものなのか?後に知ることになり、深い落胆の感情に襲われたことを記憶しています。

現場は緊張感に包まれ、急変時にはすぐに延命処置が行われました。
しかし、本人の声はそこにはありませんでした。
「あとどのくらい生きたいのか」「どういう最期を迎えたいのか」──その核心に触れる対話は、既に寝たきりとなっていた患者様には確認するすべもなく、日常の忙しさや家族の強い意向の中で後回しにされてしまったのです。

この事例から見える課題

1.本人の意志確認不足
100歳を超えた高齢者であっても、意識があるうちは「生き方」と「逝き方」の選択は本人にあるべきです。しかし実際には、本人に直接聞く機会がほとんどなく、延命方針は家族の声で決まりました。

2.家族意向の過度な優先
「死なせないでくれ」という家族の強い思いは理解できます。しかしそれが本人の苦痛を長引かせ、生活の質(QOL)を下げてしまう可能性があることも事実です。

3.経済的要因の影響
軍人恩給という継続的収入が延命要望の一因になっていたことは否めません。お金のために命を引き延ばすような構造は、本人の尊厳と真剣に向き合う機会を奪ってしまいます。

4.医療者への心理的圧力
家族の強い言葉は、現場スタッフを萎縮させ、適切な判断を困難にします。特に看護・介護スタッフは「もし延命しなかったら責められるかもしれない」という恐怖を抱えます。

5.終末期方針の未設定
事前に「延命の範囲」や「看取りの条件」を話し合っていなかったため、急変時には慌ただしく延命が行われ、冷静な判断ができませんでした。

なぜ本人の意志が軽視されるのか

・終末期について話すことへの抵抗感
「縁起でもない」として話し合いを避ける文化が根強く残っています。

・家族の感情の優先
愛情や罪悪感、経済的事情が複雑に絡み合い、本人の声が埋もれてしまいます。

・医療現場の忙しさ
日々の業務に追われ、丁寧に話し合う時間が取れません。

・制度的な不備
ACP(アドバンス・ケア・プランニング)が義務化されていないため、現場任せになっています。

解決への糸口──5つの提案

1.アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の導入
本人が元気なうちから、終末期の治療方針を文書化し、家族と医療・介護チームが共有することで、本人の意志を軸に判断できます。
                                                                            2.家族との信頼関係づくり
日常の小さな報告や相談の積み重ねが、不信感を和らげます。急変時だけでなく、普段からコミュニケーションを取ることが重要です。

3.チーム内の方針統一
医師・看護師・介護士が事前にケース会議で方針を確認し、家族対応では同じ言葉・同じ姿勢で臨むことが求められます。

4.感情面のケアも含めた説明
家族の不安や恐怖は理屈だけでは解消できません。感情を受け止めながら説明することで、対話が進みやすくなります。

5.本人の尊厳を守る文化づくり
施設や病院全体で「本人の声を第一にする」という価値観を共有し、日常業務の中で実践することが必要です。

「尊厳を守る選択」

100歳を超えた患者様のケースは、「本人の命」と「周囲の思い」が必ずしも同じ方向を向かない現実を突きつけられました。終末期における真の尊厳とは、寿命を単に延ばすことではなく、本人の意志を中心に据えた選択を支えることだと私は思います。そのためには、早い段階での対話、記録、そしてチームとしての連携が欠かせません。看取りは「その人の人生の最終章」。その章をどう描くかは、本人の手に委ねられるべきなのではないでしょうか? 終末期医療や看取りは、時に現場に重い葛藤をもたらしますが、その中で「尊厳を守る選択」ができたとき、医療・介護の仕事は最も人間らしい営みになるのだと思います。
                                                                             以上。いかがでしたか?
20数年前、看護師になりたての頃の出来事でしたが、今も課題としてこの胸に重く残っています。生きている私たちは誰がいつ突然にこのテーマを突きつけられるか予測できません!普段から自分事として、よく考えて話し合うことが大切と痛感しています。このコラムが少しでも医療従事者の皆さんのお役に立てれば幸いです。

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時田幸子

時田幸子

看護師

会社員、フリーター、主婦を経て看護師国家資格を取得。看護師歴23年。 病院・(特養・有料)老人ホーム・サ高住・ディサービス・訪問看護ステーション勤務。 多数の心理学を学びセミナーを主催。ガン患者様・ご家族様へ傾聴ボランティア歴10年。現在は講師業、セミナー主催、個人カウンセリング&LINE相談活動中。 NPO法人日本ゲートキーパー協会認定講師 ・ 一般社団法人日本ストレスチェック協会認定SMFT ・アンガーマネージメントキッズインストラクター・ 再決断療法心理カウンセラー・トラウマ解消心理セラピスト・ パステル画でイラストや曼荼羅アートを描くことや己書という筆文字を通して、心の癒しと自己表現する場作りのお手伝いも楽しんでいます。

  1. 本人の意志を見失う終末期について

  2. 壁のあるチーム医療

  3. 心の不調を訴えにくい医療現場の現実

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