ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのマミコです。
連日の熱戦に胸を打たれている方も多い冬季オリンピックも、終盤戦を迎えていますね。
時差の関係で深夜や明け方の試合も多く、朝の情報番組でダイジェストを見るだけでも「おおーっ!」と思いますが、どうしてもリアルで見たい試合もあるのではないでしょうか。
私はスノーボードの男子ハーフパイプ決勝と、フィギュアスケートはリアル観戦したくて、頑張って夜9時くらいにベッドにもぐりこみ、3時半起きして観戦しました。
私自身はスポーツに明るくないため、本当に『にわか』なのですが、それでも興奮してしまうというのは、それだけ選手の皆さんの情熱(エネルギー)が大きいからなのでしょうね!!
夏も冬も、それぞれオリンピックは4年に1度。
実は私、前回・前々回と、冬季オリンピックは2回連続で入院中の病室で観戦していました。
病室で見たオリンピック
私はすこぶる健康体なのですが、これまでに3度の入院・手術を受けています。
そのすべてが「婦人科疾患」で、なぜか偶然にも3回とも、手術・入院はが2月でした。
最初の入院が、今から8年前の平昌オリンピック。
次の入院が、今から4年前の北京オリンピック。
なので、冬のオリンピックはいつも病室のベッドでイヤホンを付けながら見ていたので、自宅でノビノビと観戦できることが久しぶり過ぎて、それだけで感激してしまっています。
入院せずに、自宅でオリンピックが見られる!
それに気付いたときに、「当たり前」に思えることがいっぱいある日常を送れていることが、どれだけ幸せかしみじみ感じました。
「当たり前」の中にある幸せ
人間は、いい意味でも悪い意味でも「慣れる」ことができる生き物です。
でも、喜ばしいことやありがたいことにも慣れてしまうと、いつしかそれが『当たり前』になって、意識すらしなくなるものですよね。
入院していた時には、こんなことがすべて「嬉しいこと」だとしみじみ実感していました。
- 痛みを感じずに素早く歩いてトイレに行けること
- 病室ではなく自分の家でくつろげること
- 湯船に入って温まれること
が…
少しずつ体が回復したり、退院して日常生活が続けられるようになると、自分の部屋でくつろぐこともお風呂に入れることも「当たり前」だと感じ、それが「当たり前などはないこと」なんて忘れてしまうんですよね。
「当たり前」に思えることがいっぱいある日常を送れていることが、どれだけ幸せか。
病気や入院を経験して、そのことに改めて気づかされました。
「がん」かもしれない、という恐怖
ケアカレッジの記事にも書きましたが、私は以前「境界悪性卵巣嚢腫」で手術・入院をしています。
▼その時のことを書いた記事
「巨大卵巣のう腫」が見つかった際には、画像診断までの間に悪性の可能性も捨てきれず、もしも悪性なら【卵巣がん】なんだという事実に震えました。
幸いなことに、手術後は再発せず経過観察を続けるだけでOKの状態ですが、手術で卵巣を摘出してからしか病理検査での確定診断ができないため、万が一『悪性だったら…』と、あの当時は本当に生きた心地がしませんでした。
スマートフォンでも情報がすぐに取りに行ける「情報過多」な世界で生きていることもあり、不安を何とかなだめる情報が欲しくて、ひたすら病気のことを調べました。
でも…
どれも不安になる情報ばかり。
調べれば調べるほど怖くなり、理性をどうやって保とうか?と思う日々を過ごしました。
いえ、理性はあまり保てていなくて、方々に助けを求めてカウンセリングも受けました。
死を突きつけられた時の恐怖
人は自分の死を突きつけられた時、そうそう簡単にはそれを受け入れることはできません。
「人は死んだら無になる」ということをおっしゃる方は多いですよね。しかし、実際に死を突きつけられると、人間そんなことは言っていられないのです。
自分が「無」になってしまう。
そう思ったら、とてつもない虚無感と絶望感にさいなまれるはずです。無になるということの恐ろしさを、ありありと感じてしまうのです。なぜなら無になってしまうと、愛する家族と再会できなくなるわけですから。
(出展:大切な人を亡くすということ/PHP研究所/高木慶子)
まさにこの言葉の通り、卵巣がん(しかも私の腫瘍は巨大だったのでかなり進行しているんだ…と思っていました)ならば、予後はあまり明るくない。
「がん」ってやっぱり怖い病気です。
治療法もどんどん進歩していて、「がん ≠ 死」というのは、自分事ではない状態の時には理解できるのに、自分の身に降りかかると、とてもじゃないですがそうは思えません。
人の死亡率は、100%。
人は必ず死ぬ。
と分かっているのに、どこか自分の死は「遠いもの」だと思ってしまっていて、いざ直面すると不安でたまらなくなる。
高木先生の言葉の通り『実際に死を突きつけられると、とてつもない虚無感と絶望感にさいなまれる』を、そのまま自分で体験しました。
不安の中で情報を探す
私は、がんの告知経験がある医療者です。
多くの方は、発病するまでがん治療の流れを知りません。告知を受け、生まれて初めて死を意識する方も多いでしょう。この恐怖は経験者にしか分からない壮絶なものです。そして標準治療の説明を受け治療に臨む流れになるのですが、この時期にめちゃくちゃ調べたり、知り合いを頼り情報を探します。標準治療のリスクは怖く見えますから他に良い治療があれば飛びつきたくなるのはとても良く分かります。
(出展先不明・インターネット上で見つけた言葉)
この言葉は、すでに手術を終えてがんではないということが分かってから、インターネット上で出会った言葉ですが、告知されていない私でさえ
もしも「がん」と言われたら?
という可能性が身近にあっただけで、あれほどまでに怖かったのですから、告知された方の心情を考えると、どれほどの衝撃か計り知れません。
もちろんそれは、ご本人も、ご本人の身近で愛している人たちも。
壮絶な不安にあるとき、私たちは「自分を安心させたい」「自分を助けたい」と自衛のために、情報を探します。
大丈夫、って思いたくて。
頭で納得したくて。
でも、見つかるのは「不安を煽るもの」が多くて、そこでますます心が削られていきました。
5年生存率、という言葉を前に目の前が真っ暗になったり。
対岸にいる人の「抗がん剤は医者でもやらない」「抗がん剤は命を削る」などの言葉に揺らいだり。
体験者の声が教えてくれたこと
様々な情報がある中で、学術的な根拠とか数値とか…いろんなものがありましたが、
体験者の方の声というのが一番優しく、そして心強く前を向く力をくれました。
もちろんそこには、様々な葛藤があり、泣いたり落ち込んだり、うまくいかない現実に気落ちさせられたり、時に現実を呪いたくなるようなこともある。
でも皆さん、懸命に「自分を生きて」いました。
たくさんの情報の中で、希望になる情報を見つけるのは本当に難しい。
でも私も、どうせ言葉を書く場所があるならば
不安を煽る言葉ではなく、できれば何か「大丈夫」と思える言葉を
書いていきたいな、と思っています。
誰かがそうやって、不安の渦の中にいた私に「大丈夫じゃないけど、大丈夫だよ」という手を伸ばしてくれたから。
その手につかまって、何とか大丈夫になれたから。
大丈夫じゃなくても、大丈夫
大丈夫じゃなくても、大丈夫
これは私の中で大切にしている言葉です。
大丈夫じゃないけれど、でもね、なんでか分からないけれど大丈夫になっていく。
大丈夫じゃないときには、独りぼっちで耐えようとせずに、助けてもらえる人たちに「大丈夫の素」をたくさんもらってください。
だってね、人って『誰かの役に立ちたい』と思っていますから、あなたの「助けになれる」って嬉しいことです。
あなただってきっと、大切な人が困っていたら、その人の役に立ちたいと思うでしょうし、助けになれたら「よかったな」って思いますよね?
人間が一番うれしいことはなんだろう?長い間、ぼくは考えてきた。
そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。
実に単純なことです。
ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい。
(出展:明日をひらくことば/PHP研究所/やなせたかし)
って、アンパンマンの作者のやなせさんも言われています。
でもほんと、そうですよね。
「大切な人を喜ばせる」ことができたら、すごくうれしくなっちゃいます。
あなたのことを大切に思っている人は、あなたからのSOSを受け取ることで、あなたの助けになる「チャンス」をもらえたということです。
だからね、支えてもらってください。
そしてあなたが、少しでも「大丈夫の素」を集めて、苦しみの中で光を見つけられたら、あなたを愛している人たちは本当に嬉しいと感じますから。
冬の先には、春が来る
厳しく冷たい冬ももうじき終わり、花粉のニュースが届いて春の入り口が見えてきました。
人生にも、巡り巡る季節のようなものがあって、ただじっと耐える、身動きできない冬の時期があるけれど、じっとしてやり過ごす先には、また芽吹く春が巡ってくる。
それまでただ、じっとやり過ごすだけで本当に充分です。
大丈夫じゃないけれど、大丈夫。
あなたの心が「冬の時期」であるならば、何もせずどうぞ暖かくして過ごしてくださいね。
大丈夫になる日を、ここで祈っています。
愛を込めて。