ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのマミコです。
今年の夏は「猛」を通り越して「酷」というレベルの暑さでしたよね~。
暑さもビックリでしたが、新潟は8月に全く雨が降らずだったのも驚きでしたよね。
少しでも雨が降れば、熱せられた状況がクールダウンしてひと息つけるかも…と思うのに、天気予報はずーーっと先まで晴れマークで、9月に入ってようやく雨が降った時にホッとしたのを思い出します。
厳しい残暑も少しずつ角を丸めたような感じがしてきているので、きっと秋分の日を過ぎたあたりからは秋らしい季節に変わっていくのかもしれませんね。
天気はコントロールできないし、イヤでも受け入れるしかない
もう、そのまんまなんですが、いくら化学が進歩して「少し先のお天気を予測する」ことはできるようになっても、天気そのものをコントロールして変えるということはできません。
明日の天気予報を見て「一日中晴れみたいだから、ベランダに洗濯物を干せそうだな」「気温が高そうだから着るものは半袖でよさそうだな」などと、お天気に合わせた対策を考えますよね。
突然ですが、私は顔周りに「かなり強めのクセ」があり、雨が降ると湿気でクセが自己主張し出し、クルクルとしてうねります。
さらに細くてコシのない毛質なので、全体的にはぺトンと潰れるのに、顔周りだけはクセが強くなってボワボワし、もうほんと、鏡を見るのが嫌になるほど。
雨が降ってクセが出てしまうと、自分の髪の毛に手を焼き、「あーあ」とテンションが下がってしまいます。
だから、雨の日は好きではありません。
人に会う予定がある日は、自分の髪形が決まらないので憂うつな気持ちになりますし、楽しみにしていた旅行が雨に当たってしまえば、荷物も増えるし足取りも重いし…と残念な気持ちにもなってしまいます。
でもだからといって、雨が降るのを止めることもできませんから、「あーあ、イヤだなぁ」という気持ちを抱えつつも、雨の日を何とかやり過ごします。
雨がどんなに嫌いであっても、それをしぶしぶながらでも受け入れ傘をさして雨をよけたり、少しでも癖が出ないようにヘアスプレーを使ったり、出かける際の予定を組みなおしたりしつつ『雨に合わせた行動』をしますよね?
だって、お天気って自分ではどうすることもできないものですもんね。
どんなに嫌でも、自分の力では「変えることができない」ことを知っているから、受け入れますし対策を立ててやり過ごしますよね。
ザァーザァー降りの雨が降っているのに「雨なんて認めないから、傘なんてささないもん!」と、雨の中に出てしまえばあっという間にびしょ濡れになってしまいますし、そんなことする人はほとんどいないと思います。
雨が降れば、傘をさしたりレインブーツやレインコートなども活用して「濡れないように」して雨が通り過ぎていくのをやり過ごしますよね。
感情は「天気と同じ」
私たちに備わっている感情は、天気と同じだよ~と表現されることがよくあります。
お天気って日ごとにクルクル変わりますよね。
同じように感情も、一定ではなくクルクルと変化します。
お天気よりずっと簡単に、あっという間に感情は揺れ動いて変化しますけれども…。
その他にも感情は「波」のようだ表現することもあります。
波は「寄せたり引いたり」「荒ぶったり凪いでいたり」と、一定ではなくその時々で表情を変えます。
お天気も波も、どちらも「変わる・揺らぐ・一定ではない」のが当たり前のもの。
浮き沈みがあるのが「普通」なんです。
生きていると、それこそ本当に色んな体験・出来事を経験します。
その全てが順調で楽しいものであって欲しいけれど、残念ながら「順調ではないとき」というものも沢山あります。
人生グラフみたいなものを描くと、山のように上ることもあれば谷底を描いている時期だってありますよね。
私は「結婚の誓いの言葉」が好きなのですが、その台詞にもある通り…
健やかなるときも 病めるときも
喜びのときも 悲しみのときも
順調なときも 逆境のときも
富めるときも 貧しきときも
ねっ! ← なにが「ねっ!」なのかはアレですが…
「朝と夜」「光と闇」「夏と冬」というように、この世界は『陰陽』のどちらの顔も持っているもの。
だから私たちが生きているこの世界では、変わること・揺れ動くことが当たり前。
浮き沈みがあるのは、どうしたって避けられないものなんですよね。
山や谷といったドラマチックな展開以外にも、何も変化がないような平坦な道を歩く時期もあります。
順調な時期もあれば、予想外の「まさか」に涙する苦難の時期もある。
そう言われてみると「うんうん、そうそう!」と言えるのに、私たちはなぜか『自分の感情』に対してはそう思えないんです。
ネガティブな感情は感じるのがしんどいこともあり、できるだけポジティブであるべき!と、自分の感情に見張りを立てて、揺れ動くことに厳しい視線を向けてしまいます。
でも、感情は動くもの。
高揚したり落ち込んだり、特に波風のない穏やかな時もあります。
それはまるでお天気のように、土砂降りの雨で冷たい差に震えることもあれば、だんだんと雨が上がって晴れやかになって心地よさを味わったり…と、一定ではなく変わりゆくものなんです。
感情に優劣はないのに、いい悪いがあると思っていませんか?
小さなことにくよくよせずに、未来を見つめて希望を持って、キラキラ元気にハッピーに生きたい。
えぇ、誰だってみんな「落ち込みたいぜ、イエーーイ!」なんて言いませんよね。
みーんな、心地よくポジティブで居続けられたらいいなぁ~と思いますよね。
また、自己啓発・引き寄せなどの本でも「ポジティブな感情が更なるポジティブを引き寄せる」「自分が出すエネルギーの波動に合うものが現実化する」などなど、
ポジティブでいられないのはイケナイこと
のように感じてしまう人もいるのではないでしょうか?
実は私も、過去にネガディブを忌み嫌い「ポジティブ信仰」に染まりたいのに染まれない自分を虐めてネガティブになる…という「自作自演の神々の遊び」みたいなことをしていた時期があります。
・常にポジティブな視点を持って、前向きで明るくいるべき!
・ハッピーでキラキラな波動を出さないと!!
・小さな幸せにも感謝して、自分がワクワクすることを集めなくちゃ!
こんな風に、「向上心」「前向き」「キラキラ」「ワクワク」を常に探すべきだ!という目標やルールを自分に課し、そうできない気分の日には、目標やルールを使って自分を責めてしまっていました。
・なんで私は目の前の出来事にワクワクできないの?
・ミスした後は、気持ちをすぐに切り替えて前を向きなさいよ!
・泣きたい気分でも、笑顔を作りなさい!!
…。
もはや、いじめですよね。
ネガティブな感情になるときって、順調ではないときです。
ミスしてしまって気持ちが凹んでいたり、悲しいニュースを耳にしたり、思っていたような成果が出せなかったり、誰かのちょっとした言葉に傷付いたり。
しんどいなぁ、つらいなぁ、苦しいなぁ、というときにネガディブな感情がわいてきます。
それは心が発する「警報」なんですよね。
今の私は、労りを必要としているよ、無理させないでね、って。
私たちの感情には「不要なもの」はないんです。
全て必要だから備わっているもの。
ポジティブな感情軍は、何かを行動する後押しや、物事をより豊かに楽しんだり味わったり、他の人にもおすそ分けしてあげたくなる「与えられる」もの。
ネガティブな感情軍は、自分が向いている方向はそっちじゃないよ!と教えてくれる羅針盤の役割や、痛みや傷がある自分に無理をさせないためのブレーキになったり、自分だけではなんとかできないからこそ、誰かの助けを「受け入れて、誰かを役立たせる」もの。
どちらかが優れていて、どちらかが劣っているなんてことはありません。
私はグリーフケアを学んでいますが、人やペットといった大切な命を「喪失」したときには、ポジティブな気持ちになんてなれません。
悲しくて、やりきれなくて、苦しくて。
ネガティブの巣窟に突き落とされたような気持ちになりますが、なんでこんな気持ちになるかというと…
愛しているから、なんです。
哀しむとは、愛すること。
どうでもいい対象に対しては、ネガティブな気持ちにすらなれません。
大切な命を亡くして「それでも意味がある!前向きに!ハッピーに!!」と笑うことをしている人がいたら、逆に痛々しく感じませんか?
ちょっと話が横に脱線した感がありますが、ネガディブな感情になるときは「ただでさえうまくやれなくてしんどい状態」の自分がいます。
それなのに、ポジティブな感情に切り替えられない自分に攻撃の目を向けて、さらに自分を傷付ける…。
ねぇ、これってなんだかおかしなことだと思いませんか?
いくら自分が「今日は楽しく過ごしたい」と思っていても、上司が不機嫌で理不尽なことを祝えてしまうこともあれば、急いでいてつまずいて膝をすりむくことだってあります。
空いていると思ってた電車やバスが混んでいたら「うわーーっ」と思っちゃいますし、仕事でミスをしたら「誰にでもあることだよ」って分かっていてもガックリと気落ちします。
自分だけではなく、外的要因や刺激にも反応して気分は変わるもの。
また、何が起きるかなんて予測も出来ないし、それは通り雨みたいに「急なこと」も沢山ありますが、いつしかちゃんと気持ちは凪いで日常を送れるようになっていけます。
楽しくてお腹の底から笑える時間もあれば、涙があふれて止まらないこともあります。
穏やかに心地よく過ごせる時間もあれば、焦りや不安からいてもたってもいられないときもあります。
陰・陽どちらにも傾くことがあるのが、私たち人間なんです。
あ!!
後は「目に見えない力」というのも感情に影響したりもします。
女性は分かりやすいと思いますが、生理前には無性に苛立ったり泣けてきたり…と「ホルモン」の影響で感情が支配されちゃうこともありますよね。
他にも気圧に伴う体の不調で感情も連動して落ちてしまったり、月の満ち欠けが自然界に影響を及ぼしているように人間にだって何らかのエネルギー干渉をしていてもおかしくないですもんね。
自分のものなのに、自分の思考で制御できない暴れ馬が「感情」なのかもしれませんね。
雨の日には傘を。ネガディブな時間には優しさを。
常にポジティブな思考を持ち、明るく思いやりのある心穏やかな私でいなくては!
「そうなれたらいいよね~」と思うのはステキですが、それが行き過ぎて「鉄の掟」として自分に厳しいルールとして課してしまうのは、線状降水帯予報が出ているのに「嘘だ!そんなの信じない!傘なんてもっていかないからね!」と天気を受け入れずに無視するのと同じことです。
パッと聞いてもおかしなことですよね??
線状降水帯なんて「命を守る行動」を求められるような雨です。
だとしたら、無視するのではなくそれをしのぐ方法や身を守るやり方をして、雨が過ぎ去るのをやり過ごすことが大事です。
自分の感情が、自分にとっては好ましくない「土砂降りの雨模様」であれば、雨が止むまでの間「何とかやり過ごせるように」と雨よけになる手助けをしてあげるべきではないでしょうか?
揺れ動く感情の中で、トポンと深いネガディブな中に落ち込んだ時には、ぜひこんな風に自分に言葉をかけてあげてください。
今日の私の気持ちは「雨降り」なんだね。
さぁ、この雨をどうやってやり過ごして行こうかな?
雨が止むまで、何をしたら少しでも快適になれるかな?
厳しい暑さの夏もじきに和らいで過ごしやすい秋がくるように、土砂降りの雨も通り過ぎてまた太陽が顔をのぞかせるように、感情も天気と同じように「移ろって」いきます。
感情は「感じ尽くすと消えていく」という特性がありますから、実はいつまでも強いネガティブを持ち続けるということができないんですよね。
感じ尽くすまでの時間の差はあるけれど、いつかネガディブもちゃーんと和らいでほどけていきます。
雨の日には傘をさして雨をしのぐように、心が雨模様や荒れている時には、無茶せずに雨宿りして「ただそれを受け入れて」過ごしてあげませんか?
雨上がりの空にご褒美のような虹がかかるように、感じたくない感情を味わった分だけ、きっと見える世界が広がるあるはずですから。