ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのマミコです。
先月も同じことを冒頭で書いていますが…
もう10月も終わりだなんて、ビックリです。
つい数日前までは、日中は扇風機を回す日もあるくらい温かくて、10月後半だなんて思えなかったけれど、雨と共に急速に秋めいてきて、数日後にやってくる11月には「冷えますね~」なんてご挨拶をするのかもしれませんね。
頑張ったかどうかは、人と比べなくていい
生きていると、毎日何かと忙しいですよね。
私は学生だから、私は専業主婦だから、私は休職中だから、私は責任のある仕事をしているわけじゃないし、私は子育てや介護をしているわけじゃない…
と、自分が他の人と比べたら「頑張っていない」と思っちゃうけれど
みんな違って、みんな忙しい
みんな違って、みんな頑張っている
んです。
人それぞれ、置かれた状況、やるべきテーマや課題、持てる力が違っているのだから、比べる必要なんてないのに、どうかしてか私たちは「周りと比べて」自分をダメだと思いがちです。
誰かと比べて「私は頑張ってない」なんて思わなくていいんですよ。
あなたはあなたなりに、できることを頑張って偉かった!
あの人はあの人として、できることを頑張って偉い!
どっちも同じように「偉い!」んです。
英語で言うと、each other (お互いに)ですね。えへへ。
1日の終わりに「はぁ~、疲れたー」っていう言葉が出てくるときには、もう存分に頑張っているという何よりの証拠です。
だって、自分だけのお休みで何をしてもいい日を満喫したときは、「はぁ~、最高の一日だったーー!」とニッコリ笑って眠りにつくのではないでしょうか?
なんなら「今日がまだ終わってほしくない~」とすら思うかもしれませんよね。
一生懸命何かをしたら、当然疲れます。
でもそうじゃなくたって、あれこれ考えことをするのだって脳はうーーんと働いてクタクタになりますし、気持ちが下向きな時には「普通にふるまう」だけでも、気力・体力共に奮い立たせるためにエネルギーを使っています。
何もしていないようにみえても、情報が多いこの世界で生きているだけで、感情が揺れたり思考がグルグルして疲労するものです。
みんながそれぞれ、置かれた状況や環境が違う中で、今日を生きることを「精一杯頑張った」んだもの。
お疲れ様です。
あなたも、私も。
「疲れたー」に続ける、自己肯定の言葉
私はお家のお風呂時間が大好きなのですが(← 突然の自分語り)、湯船に浸かってボーッと力を抜くと
はーーっ。疲れたー。
と、思わず心の声がダダもれることが多々あります。
肉体労働をしているわけでもなければ、胃に穴が開きそうな責任重大な仕事を担当しているわけでもなく、気ままな一人暮らしなので「家事や育児」といった休むことができない仕事もこなしていません。
それでも、仕事を終えて一日をリセットすべくお風呂に浸かると、自然と漏れてくる「疲れた」という言葉に対して、こんな言葉を続けるようにしています。
はーーーっ。疲れたーー。
あぁ、頑張った!!
ほんと、偉い!!
ドリカム的に言えば、「ブレーキランプ5回点滅」が「愛してる」のサインのように…
「疲れた」は、「頑張った」のサインです。
だから、自分で自分に「頑張ったからだね」「偉いね」と続けてあげて、自分を肯定・労うようにしています。
人と比べなくていいんです。
私「が」疲れたということは、私「が」頑張ったのだから。
あなたが「当たり前」にできることは、他の人にとっての「当たり前」ではない
自分と周りを比べて「頑張っていない」と思ってしまいがちな人は、自分に負荷をかけすぎてしまうことも多々あるのではないでしょうか?
人にはみんな「得意」「不得意」があるので、誰かにとっては簡単にできることであっても、それが自分にとっては時間がかかったりうまくやれないものだったりすることがあります。
その逆もしかり。
あなたがいとも簡単にこなせることが、他の人にとっては難しいということだってあります。
なのに、自分のことを「過小評価」している状態だと
こんな私ができる「カンタンなこと」だから、誰にでもできる「当たり前」なことに過ぎない
と、自分の長所や能力を見下げてしまい、ちっぽけに扱ってしまいがちです。
でもね…
あなたにとって「当たり前」のようにやれることであっても、他の人にとっては「当たり前」なんかじゃないことって、本当はたくさんあるはずなんです。
私はどちらかというと「石橋叩き派」なので、行動するまでにあれこれ調べてからじゃないと怖くて動けません。
瞬発力はないし、直感を頼りにパッと俊敏に物事を成し遂げていく人と比べると、自分の「決められなさ」「動けなさ」にガッカリすることもたくさんあります。
でも、それがあるからこそ「納得してから動く」ので、決めてしまうとブレにくくなってどっしりと腰を据え、コツコツ物事をやり遂げることができます。
また、あれこれ石橋を叩いて調べるので、見切り発車なことが少なくて済んだり、先々を見越して「先手」を打つこともできます。
以前、俊敏に行動できる人から「考えなしに行動しちゃって、やらかしちゃうことが多いから、熟慮できる人がうらやましい」と言ってもらってビックリしたことがあります。
隣の芝生は青く見える…じゃないですが、自分にあるものは「当たり前」で、自分にないものを「羨ましい」「いいな」「あの能力があれば!」と憧れちゃうんですよね。
あなたにとって「当たり前」に思えることは、簡単にやれちゃうことなので「こんなこと」扱いしちゃいがちですが、誰かにとっての「当たり前」があなたにとっては「すごいことに見える」のと同じであることを、時々は思い出して、自分の「当たり前」もすごいことを忘れずにいてあげたいですね。
何でもかんでも出来る完璧な人はいないから
私は全然ダメだけど、周りの人はすごいから…と、ついつい思ってしまうけれど
神の子と言われた、イエス・キリストでさえ「不完全な人間」でした。
この世界に、完璧な人間は一人もいません。
みんな不完全で、みんな欠けている部分があり、デコボコしていていびつです。
この世界で、みんなが「星付きシェフ」のように料理ができたら、星が付くお店に行こうとは思わなくなります。
みんなが大谷翔平選手のようにホームランを打って、ピッチャーとしての力もあったら、二刀流で活躍している姿に胸を熱くすることはないでしょう。
スポーツが得意な人もいれば、音楽が得意な人もいる。
営業力がある人もいれば、寡黙な精密作業を得意とする人もいる。
それぞれに「得手・不得手」「好き・嫌い」があって、みんなが違うからこそ、この世界は彩があり、支えあって補い合っています。
自分一人では「100%完璧」にやれないからこそ、人に助けてもらったり、教えてもらって「ありがたいなぁ~」と感じますよね。
あなたが周りの人から助けてもらっているように、あなたも誰かを助け、支えています。
「大丈夫?」の問いかけに込められているもの
頑張り屋さんのあなただから、自分には難しいことでも、自分のキャパを超えていても、自分一人で何とかしようとして一生懸命になっていることがきっとたくさんあるはずです。
そんなあなたに対して、「大丈夫?」と声をかけてくれる人がいたら、あなたはなんと答えるでしょうか?
「大丈夫?」の問いかけに対しては、反射的に「大丈夫です!」と言っちゃうのではないでしょうか。
というか…
「大丈夫じゃない!!」って言う人をあまり見たこともなければ、学校でも職場でも「大丈夫になるように頑張ること」は教えてもらってきても、
大丈夫じゃないんです。
助けてください。
って言っていいなんて、教えられてきてないですよね。
大丈夫じゃないって、何か本当にとんでもなく大変な時とか、大きな出来事じゃないと言っちゃいけないように感じている人も多いと思います。
でも、言っちゃっていいんです。
ちょっと考えてみてください。
あなたが、目の前の人に「大丈夫?」と問いかけるときって、どんな気持ちで声をかけているのかを。
余裕がなさそう。
疲れてそう。
ムリしていそう。
しんどそう。
つらそうな感じがする。
と思うから「大丈夫?」と声をかけるのではないでしょうか?
声をかけるというのは、その言葉の後ろに
大丈夫じゃないように見えるけど…
私が何かできることはあるかな?
私はあなたのお役に立てるかな?
心配しているよ。
が隠れていますよね。
だからね、周りの人からの「大丈夫?」という気遣いの声掛けをもらったら、甘えちゃっていいんです。
本当に大丈夫であれば、「ありがとう。でも大丈夫だよ」と言えばいいし、大丈夫じゃなかったら
「大丈夫じゃないの」って、素直に言っていいんです。
「大丈夫?」には優しさが隠れているのですから、その優しさを受け取って、感謝して助けてもらっていいんです。
そのつもりで声をかけているのだから。
自分だけで抱えなくていいんです。
助けしてもらって、一緒に考えてもらって、自分の荷物を少し軽くしてもらって、大丈夫じゃない状況を大丈夫に変えていっていいんです。
そして、助けてもらうと「次に何かあったら、私がこの人の助けになりたい」と思いますよね?
自分が恩返しするような場面はすぐに訪れないかもしれないけれど、何かあったらきっと自分がしてもらったように「大丈夫?私にできることはない?」と手を差し伸べるはずです。
わぁ。
なんだか素敵な「優しさの循環」ができちゃって素敵じゃないですか!!!
弱さを見せてもいいんです。
誰しも不完全で、弱さをもっているのですから。
そして、優しく差し伸べられた手を握って、助けてもらってください。
また、誰かから「大丈夫?」と聞かれていない状態であっても、いっぱいいっぱいな時には
私、大丈夫じゃないんです。
一緒に考えてくれませんか?
助けてください。
って声を上げてもいいんです。
なぜって??
だってね、黙っていたら周りは気付かないから。
もしかしたら、あなたが大丈夫じゃないことを、誰も分かっていないだけなんてこともあり得るから。
察してよ!!
と思っちゃうけれど、好きで頑張っていると思われていたりすることもありますし、人のことを察するなんて余程じゃないと難しいことです。
声を出してみて、初めて相手から分かってもらえることもあるので、「大丈夫じゃない」と言うことを我慢しなくていいんですよ。
きっとね、普段から「大丈夫です!」と言ってしまう、頑張り屋さんのあなたが「大丈夫じゃないんです」という時というのは、相当大丈夫じゃないときなのはずです。
それって「非常事態」ですから、一人で抱えて潰れてしまう前に、どうか周りの人に助けてもらってくださいね。