ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのマミコです。
桜の開花宣言も聞こえ出し、春がすぐそこまで来ていますね!
前回の記事を確認したとこら12月!
ずいぶんご無沙汰してしまいました。
今更ですが、今年もよろしくお願いします。(ペコリ)
* * *
今日は思いっき個人的なことをお話しさせていただきます。
少しずつ日が長くなり始め、春の気配を感じ出した3月の始めに、15歳半の愛犬が旅立ちました。
本当に突然、「心停止」でのお別れでした。
愛犬のこと
愛犬は小さな体でいくつもの病気を抱えていましたが、15歳という高齢ゆえ、治療をどうするかは悩みながら選択していく必要がありました。
病気と共存しつつも穏やかであればよかったのですが、呼吸器疾患の咳が原因で腹圧がかかり、会陰部分(お尻の近く)にできたヘルニア孔に膀胱が逸脱、自力排尿が難しくなりました。
排尿ができなくなると体に毒素がまわり、命に係わる危険な状態。
「手術適応」の状態ですが、15歳という年齢に加えて呼吸器疾患もあるため、麻酔や手術に耐えられるかどうか?
ハイリスクゆえに近くの動物病院ではなく、麻酔専門医がいる二次診療病院を検討する必要がありました。
どうすることが「愛犬らしく生きることにつながるか?」を、迷って迷って…他県まで出向き、麻酔専門医の先生に診ていただくことにしました。
検査や診断を経て、手術には耐えうるだろうとの結果に!
手術自体もリスクがあるため、ベテランの外科の先生に連絡を取っていただき、他県から手術に来ていただけるということになりました。
思いもしないような展開でしたが、安心できる流れができるとトントンと物事は進み、あっという間に手術の日がやってきました。
衝撃期:頭が真っ白・思考鈍麻
手術当日の愛犬はいつも通りの健康状態で、当日の術前検査も問題なく、後は手術の終了を待つだけのはずでした。
ところが、愛犬はいよいよ手術を受けるという直前に突然の心停止を起こし、先生方の必死の心臓マッサージを含む蘇生処置を施していただきましたが、そのまま自力で呼吸をしてくれる奇跡は起こらず、私の判断で「もういいです」と処置を終えていただきました。
先生方の手が離れると、心電図のモニターの波形がだんだんと緩やかになり、そして最後にまっすぐの線になり、愛犬の魂は神様のもとに帰っていってしまいました。
最後を腕の中で…とはならなかったけれど、最後の最後まで声をかけながら前足を握りしめて旅立ちの側にいられたことは、きっと「その時にできた精一杯のお見送り」だと思っています。
* * *
涙はホトホトと零れ落ちるのですが、感情が動くような涙ではなく、どこか他人事というかフワフワした現実感のない感じ。
エンジェルケアをしていただいて、まだ暖かい愛犬の体を抱きしめるようにして受け取った後も、不思議なくらいシャキシャキと事務的なことをこなし、そのまま火葬の手続きまで行いました。
暖かかった愛犬は少しずつ冷たくなっていき、何度呼び掛けても撫でても反応してくれないことで「あぁ、逝ってしまったんだった…」と思うのに、全然実感がわいてこない。
何か考えよう、何かしなくちゃと思うのに、頭の中にあったのは「まいったなぁ」「どうしよう」「困ったなぁ」ということばかりで、でも一体何に対してまいっているのかもつかめていないような、頭が真っ白な状態でした。
哀しみに飲み込まれ、体も心も痛かった時間
愛犬の死を現実のもととして受け入れるきっかけになったのが、眠っているようにしか見えない体の下に保冷剤を入れた時でした。
あぁ、もう本当に死んじゃったんだ、って。
その時初めて、もうどうしようもないくらいに悲しくなって、声をあげて号泣しました。
泣いても泣いても、涙は枯れることなく湧き上がり、同時に手術をするという選択をした自分を責めました。
「あの時、私が思いとどまれば愛犬はまだ今日も生きていたかもしれないのに…」
そんなことを考えても時間を巻き戻すことはできないのに、どうにもならないことをひたすら考えて嘆き、それと同時に「術前検査で見落としがあったのでは?」「心停止の前に何かの兆候を見つけられたのでは?」と医療者に対する不信や怒りのような感情も湧きました。
でも、責めても後悔しても、もう愛犬は戻ってきてくれません。
無力感と寂しさと、会いたいという思いともう会えない現実を突きつけられて、感情はジェットコースターに乗ったように乱れ続けました。
眠れず、食べれず、体が勝手に震え続け、誰かと話すだけで涙があふれる状態が続き、心臓の上の方がチクチクと痛み、胃が締るような苦しさと痛みに加えてお腹をくだし、頭痛と耳鳴りといった「体への反応」もありました。
愛犬の写真を見るだけで号泣してしまい、しばらく写真を見ることも出来ませんでした。
今はようやく「食べる」「眠る」といったことに加えて、少しずつ日常生活を取り戻しつつありますが、強い哀しみというストレスから自律神経が乱れ、眠りについても心臓がドキドキして汗をかいて飛び起きる…ということを繰り返しています。
* * *
私は「グリーフケアアドバイザー」の認定をいただいており、喪失を体験したときに起きる「体と心の自然な変化」についての知識があります。
そしてその「知っている通り」に自分の体と心が揺れ動きました。
グリーフ(悲嘆)は、勝手に侵入してくると表現されている通り、逃げたくても、悲しい気持ちになりたくなくても、愛着のある対象を失った瞬間からいとも簡単にグリーフは私をとらえ、あっという間に飲み込まれました。
もうほんとうに、どうしようもなかった…。
グリーフからの回復は、人によって変化の速度や行きつ戻りつの程度は異なるものの、一般的には次のような段階を辿ると言われています。
グリーフの心理過程
1.衝撃期
頭の中では「死」を理解しているけれど、心が追い付いていない状態。
・頭が真っ白(無感覚)
・現実感がない(現実逃避)
・なにがなんだか分からない(思考困難)
・信じられない(否認・拒絶)
・何も考えられない(思考鈍麻)
受け止めきれないほど大きな哀しみの衝撃で心が壊れないように守るための、自己防衛機能の一つです。
2.悲痛期
真の心の痛みの期間。
悲しんだり落ち込んだりといった激しい感情の揺れ動きの他、食べれない・眠れないなどの身体的症状もあらわれることがあります。
・あのときこうしてれば…
・こんなことしなければ…
・なんでこんなことになったのだろう
・会いたい、抱きしめたい
・後を追いたい
・誰か(医療者)のせいだ!
・私だけが取り残されてしまった
・気配を感じる
・笑えない
・依存が強まる
後悔、罪悪感、怒り、悲しみ、嘆き、孤独感、見捨てられ感、思慕、再会への望み、期待と落胆、探索行動などが起こります。
また、死は理不尽で納得ができないからこそ、原因探しをしたり、戻ってやり直すことが出来ないからこそ「~できていたら…」「~しなかったら…」と過去を振り返って大きな痛みを感じて打ちひしがれます。
亡くなった命にもう一度会いたい!という強い思慕の気持ちから、故人の声が聞こえたり気配を感じるということもあります。
ふと話しかけてしまったり、亡くなった命と似た姿を見てハッとしてしまったり。
これらは「ちらつき現象」と呼ばれているもので、悲しみが深い時に起こる正常な範囲の現象です。
3.回復期
現実として「死」を受け止め、受容する時間。
・どうしようもなかったんだ
・避けられないものだった
・痛みから解放されてよかった
・あきらめ
・肯定的思考
起こったことを自分なりに受け入れだすことで、ゆっくりと立ち直りに向かい始める時期です。
4.再生期
・あのときこうしてれば…
・こんなことしなければ…
・再出発
・希望
・新たな出会い
・立ち直り
少しずつ希望を持つことができるようになり、再出発できるようになります。
グリーフは必ず回復する
とても悲しみが深い衝撃期には、このまま真っ暗な悲しみの時間がずっと続き、何もかもが終わってしまったかのように思ってしまいますが、私たちはグリーフ(悲嘆)から回復していく力を持っています。
グリーフは必ず回復する、と知っておくだけでも絶望の中の小さな光になると思っています。
回復にはプロセスや流れがあるとはいえ、受容や再生に至るまでには個人差があり、人それぞれに効く「お薬のような時間」の長さは異なります。
すぐに前を向ける人もいれば、ゆっくりと時間がかかる人もいます。
私自身、グリーフケアの知識をたくさん持ち合わせてても、自分が愛してやまない「愛犬」の旅立ちを前にして、まだ全然前向きにはなれていません。
でもそれでも、後を追いたくなるほどの悲しみは少し落ち着き、日常生活や仕事の間も上の空だった状態からいつも通りのペースに戻りだし、ゆっくりですが自分なりにグリーフと共存しているのかな?と思っています。
最愛の命と「死」を持って別れを体験した後の大きな絶望や悲しみを「克服する」ということはできないのかもしれないけれど、悲嘆との共存の仕方を自分なりに見つけていくことができるようになる。
それがきっと「グリーフからの回復」なのかもしれませんね。
そこに必要な「お薬のような時間」は個人差があるけれど、悲しみや愛情を抱えながら、旅立ってしまった「その人」「その子」との、新しい関係性を作っていける、そんな力が私たちにはある。
それはとても素敵なことです。
グリーフは愛と感謝に気付く時間
過去に「ロールレター(目的を持った遺す言葉)」について、記事を書きました。
もしも私が死ぬとしたら?
遺しておきたい言葉を考えた時に出てきたことは、愛するペットたち(ネコと犬)のことでした。
最後まで側にいてあげたい、きちんと見送れるように、と願っていましたがそれが叶わないのであれば、信頼できる人たちに託したい、と。
見送るのは本当に苦しいし悲しいけれど、でも「遺して逝く側」ではなかったことは、嬉しいこと。
だって、それを私は避けたいと思っていたのだから。
命と出会い、預かり、愛を注ぐと同時にたくさん愛を届けてもらって、幸せな時間を共に過ごし、命の最後まで側にいることができた。
今、この瞬間は悲しみがいっぱいあるけれど、悲しみの中で亡くなった愛犬のことを思い出すとき
愛犬と過ごした幸せ過ぎる日々
愛犬が与えてくれた「生きる希望」「喜び」
家族になれた喜びと感謝
に気付きました。
以前読んだ「老犬とつづ井」(つづ井著/文藝春秋社)というコミックエッセイに、こんな素敵な言葉がありました。
愛犬というのは、愛が犬のかたちをしているという意味です。
(引用:老犬とつづ井/つづ井著)
もうほんと。
この言葉が染みて、染みて。
愛猫も、愛犬も、愛する人も、愛する〇〇というのはみんな「愛がその形をしている」っていうことなんだろうなぁ。
愛するからこそ、哀しくて。
愛するからこそ、会いたくて。
そしてその「愛する存在」と出会えたこと、愛を与え合えたこと、触れ合えたこと、たくさんの思い出という宝物を作ってきたこと、その宝物はこれからの人生でも自分の中で亡くならずに輝き続けるのだと思ったときに、出てきた言葉は
大好きだよ。
ありがとう。
というものでした。
グリーフの中にいる時に流れる涙は、愛と感謝の涙ですものね。
愛しているから、大切だから、こんなにも悲しくて、困っちゃうんですから。
「死」をもって、これまでのような関係性は失われてしまったかもしれません。
でも、こんなに愛する存在ですもの!
「死」がやってきたことで終わってしまうはずがありません。
きっと「新しい関係性の始まり」であるはず。
きっときっと、時間をかけながら心の中で大切で勇気を与えてくれる、かけがえのないお守りのような存在に変わっていくはず。
* * *
なんだか支離滅裂なコラムになってしまいましたが、私はまだ強い哀しみの中にありながらも、その哀しみをただ「仕方ないよね」と受け入れながら、ゆっくりゆっくりと自分のためのグリーフケアを続けています。
もしも今、あなたが大切な存在を「亡くした」ばかりであれば、大きな悲嘆が勝手に自分を支配してしまうのですから、頑張って悲しみをなくそうと無理をしないでください。
つらいけれど、悲しみも大切な感情です。
感情は感じきることで抜けていきますが、抑え込むと抑圧されたまま自分の心の奥に残り続け、どこかでバン!と吹き出してしまいます。
すぐに忘れる、すぐに元気になるなんて、無理なんです。
亡くなった命は、そんな簡単に思えるような存在じゃないじゃないですか!
それを認めて白旗をあげて、悲しんだままの自分をギュッと抱きしめつづけてあげましょう。
つらい時は、優しくされるべきですから、自分に対してうんと優しいまなざしを向けてあげて、自分をいつも以上に許してあげてください。
愛することは哀しむこと。
きっときっと、哀しみとの新しい関係が作れるようになれるから、未来の自分を信頼して、今は哀しみと共に生きていようと思います。