ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのマミコです。
つい先日「春めいてきてお花見が出来そうですね~」なんて言ったと思ったら、あらら、もうGWも終わってしまいました。
時間が過ぎゆく速さよ…(遠い目)
最近は「五月病」という表現をするのかどうか分かりませんが、日差しが明るく朗らかな季節になるにも関わらず、この時期は気持ちに波が出てしまうという方もいらっしゃると思います。
楽しみにしていたGWが終わってしまった後、カレンダーを見ると次の祝日までが遠くて、赤い日が待ち遠しい。
頑張らなくちゃいけないけれど、頑張りたくない。
っていうか、頑張ってるのにもっと頑張らなくちゃいけないの…。
そう思うだけで胃がキュッとするというか、身体に鉛が埋め込まれたように重たい感じがしたり。
多分きっと、自分では「気を張っていることにすら気付かない」くらい、普段から一生懸命に毎日を生きているからなのかもしれません。
そして、色んなことを頑張る自分がいるのに、まだ足りない…とダメな部分に目がいってしまって、身体の力が抜けないのかもしれません。
頑張り屋さんのあなたが、ほんのちょっとだけでも「ふぅ~」と一息ついて、自分を優しく扱えるようにと願いを込めて、自分を責め過ぎないようにするヒントをお届けできればと思います。
仕事がしんどい…という友達の話を、あなただったらどんな風に聞きますか?
あなたが大好きなお友達のことを、ちょっとだけ想像してみてください。
大切な、大好きな、お友達です。
いつもくだらないことを言い合って笑いあい、時には一緒にお買い物やご飯に出かけ、家族にも言いずらいような話もできてしまう、仲の良いお友達。
大好きなお友達と都合を合わせて、二人でご飯。
いつも笑顔のお友達が、今日は少し浮かない顔をしています。
元気そうではあるけれど、なんだか少しだけいつもより元気がないことに気付いたあなたは「少し元気がないように見えるけれど、何かあったの?大丈夫?」と友達に声を掛けます。
するとお友達は、ポツポツと仕事がしんどいことを話し始めました。
何か大きなトラブルがあったわけでもないし、人間関係がすごくしんどいわけでもないけれど、行き詰ってしまって「もう仕事をするのが無理かもしれない」と思い詰めている様子です。
さて、あなたはどんな風に、お友達に接しますか?
どんな言葉をかけてあげるでしょうか?
– – – –
「そんなの甘えだよ!」
「逃げ出さずに頑張った方がいいと思う」
「もっと大変な環境でも、辞めずに前向きに取り組んでる人もいるよ」
「やめてどうするの?何か先を考えてるの?」
– – – –
きっと、こんな言葉は出てこないと思います。
とっても厳しい言葉ですものね。
– – – –
「そっかー、大変なんだね。話してくれてありがとう」
「無理だって思うくらいになるって、つらいよね」
「大きな原因じゃなくても、積み重なると潰れそうになることってあるよね」
– – – –
こんな風に、きっとお友達の「つらい」という気持ちを受け止めて、分かろうとするのではないでしょうか?
– – – – –
「グチって楽になるなら、もっともっと聞くよ!」
「解決はしなくても、話すだけでも楽になることあるよね。私で良かったら、話してね」
– – – –
泣き言や愚痴であったとしても、お友達の気持ちが楽になって、お友達が笑顔になってくれたらいいな!と、話を聞こうとしたり、側にいてあげようとするかもしれません。
そして、話される言葉の節々に「うんうん、その状況ならそう思っちゃうよねー」とか、「分かるよ!!」と同意したりして、お友達の気持ちに寄り添うのではないでしょうか。
こんな感じで、大切なお友達のために親身になって「分かろうとする」「味方であろうとする」ことができる、とっても素敵なあなたですが、
では、これが『自分の声』だったらどうでしょうか?
同じことを自分が呟いたときや、何か失敗して肩を落としたときに、あなたはあなたに対してどんな態度や言葉をかけているでしょうか?
友達を見るような目で、自分のことを見てみませんか?
実は、私はずっと自分に対して辛辣で厳しい扱いをしていました。
誰よりも自分に対して厳しい目を向けているので、他の人がやっても気にも留めないような小さな失敗であっても自分のこととなれば別!
ドラマなんかで見た、お嫁さんが掃除をしたばかりの場所をお姑さんが指でスーーッと触れて「まだ埃があるわよ」とやるのと同じくらい、重箱の隅をほじくるかのごとく、自分のあら探しに余念がありませんでした。
脳内にはとっても厳しい監視員がいて、「はい、それダメ!」「はい、またダメ!」「うーわ、最低」という感じで、常に自分にダメ出しばかり。
夜寝る前には『一人反省会』を繰り広げては、傷ついたり悲しんでいる自分の傷口に塩を塗るように、自分を叱責する言葉をかけていました。
当然のごとく、私は私が大嫌いでした。
自己肯定感と呼ばれるものは、地中にめり込むくらい低くて、私が存在する意味なんてない…と思っていましたし、自分に価値があるなんて「はぁ~?」と信じられませんでした。
自分を嫌っているから、自分のことを大事に扱うことはせず、自分を犠牲的に差し出すことが当たり前でした。
…というか、価値のない私なんだから「犠牲的に自分が役立たなければ申し訳ない」という感じで、自分をどこまでもぞんざいに扱い、自分を傷つけることばかりしていました。
人は「自分が自分を扱うやり方」で、相手からも扱われます。
自分が自分を分かろうとせず、大事に扱っていないわけですから、周りの人からも大事にされるよりも、傷つけられたり分かってもらえなかったり、雑に扱われてしまいます。
高価なものではないけれど、小さくてかわいいお気に入りのブローチがあったとします。
そのブローチを、雑にその辺に投げ捨てておけば、周りの人もそのブローチを「丁寧に大事に扱うもの」とは思いませんよね?
ブローチをわざわざ壊すようなことはしないでしょうが、そんなに大事なものだとは思っていないので、うっかり踏んでしまったりすることもあるかもしれません。
では逆に、あなたがそれを大切に扱い、ブローチをアクセサリーケースに入れてしまっているのを知っていたらどうでしょうか?
何かの用事でそのブローチを貸してほしいと申し出る人がいたとしても、きっとあなたと同じように大事に扱い、粗雑な扱いはしないはずです。
自分が自分を雑に扱うのは、これと似ています。
私なんて価値がありませんから、傷つけられても当然です。
だって、こんなにダメなんだもの。
毎日、自分を叱ることでばかりだし、最低なんです、私。
そう言い続けていたら、他の人はあなたのことを大切に扱おうとするでしょうか?
自分を大切に扱えるようになりたい。
自分を責めることを少なくしたい。
自己肯定感を上げたい!!
そう思った私は、いろんなアプローチを自分に実践しますが、何をしてもうまくいかずに撃沈する日々。
自分を1㎜だって許せないのに、自分に価値があるなんて1ナノミクロンも感じていないのに、自分を褒めるとか肯定するなんて、ハードルが高過ぎました。
自分を肯定なんて、やってみたところで心は「無」というか、「白々しいわ~」と無反応。
いや、逆に心を閉ざした感じすらありました。
何をやっても自分を許せず、否定ばかりする私でしたが、万策尽きて「もう何をしても自己肯定感なんて上がりっこない。私は私を大切にできないだろう」と肩を落としましたが、同時にすごく自分のことがかわいそうでならなくなりました。
私が私のことを諦めてしまうなんて、かわいそうすぎる。
私は、絶対に私を諦めない。
私は私の一番の親友になる!
なんでこう思えたのかは分かりませんが、いろんなことを遠回りしてやってきたことが、その時々では形にならなくとも「必要なタイミングで」きっと種から芽を出したのだろうと思います。
うまくいかなかったと思えた時期は、きっと土を耕すように、自分という土壌を軟らかくする作業をしていたのだろうと思います。
土を作っている間、何度もほぐしたり、新しい土を足したりそこに栄養を蒔いたりしますが、まだ種をまいてもいないので、何も手応えなんて感じられません。
でもね、失敗したり遠回りしたり、この「土をやわらかくする作業」があったから、種をまいた後で時間を経て小さな芽が出たのだと思っています。
やってきたことは全部、無駄なんかではないからね。
話がちょっと横に逸れてしまいましたが、『私が私の一番の親友になる!』と決めた後で、自分に対するダメ出しの言葉を紙に書き出してみたら、すごく唖然としました。
こんなひどい言葉、私は友達に言えない…というか、言ったことないよね?
でも、私には言ってるんだ、と。
友達に言えないことは、自分にも言わない
とはいえ、自己攻撃・自己否定はもはや身体に沁みついていて「無意識」のうちに行われてしまうもの。
なので、自分を否定し始めたり一人反省会が始まったら、深呼吸して「私は私の親友になるんだった!」と意識して(誰もいない時には声に出して)自分を俯瞰で見るようにしました。
今、私を責めたけれど、それって友達に向かって言える言葉かな?
同じことを友達がしたとしたら 、なんて言ってあげるかな?
友達には、この言葉は言わないと思うようなことを自分に言ってしまったと気付いたら、自分に対して「ごめんね。ひどい言葉をかけたよね」と謝りましょう。
傷つけたんですもの。目の前の、世界一大切なあなたという人を。
だから、ちゃんと「ごめんなさい」って伝えてあげてください。
そして、冒頭の方でも書きましたが、同じことで肩を落としているのが友達だとしたら、どんな風に接し、どんな言葉をかけるかを考えてみて、できるようであればそれを自分に届けてあげてみてください。
やってみたところで、はじめのうちは「心が無」の状態かもしれません。
でも、優しい言葉ってやっぱりうれしいものです。
傷つけようとするトゲトゲした言葉とは違って、暖かいものです。
いつその温かい言葉が届くかは分からないけれど、友達が笑顔になってくれるなら、きっとそんなに簡単にはあきらめませんよね?
優しくするのは、いきなりだとハードルが高いので、はじめのうちは「気づいて、止める」を意識するだけで大丈夫!
自分にひどい言葉を浴びせている、自分に対して厳しい目を向けている、また自分をいじめている…と感じたら、自分に対してこう伝えてみましょう。
友達に言えない言葉は、私も言わない!
人に言えないような言葉、人には決してできない態度であれば、自分にもしちゃいけないですよね?
それに気づいて、やめようとすることが第一歩ですもの。
まずは気付く。
そして、気付いたらやめる。
自分に暖かいまなざしを向けるために、ひどいことをしたと気付いたら、自分にごめんねを伝え、それに慣れてきたら少しずつ「友達にだったら、どうするかな?」を考えて、それを自分にしてあげてみてください。
そしてもう一つ。
やろうと思っても、できないことだってあることを忘れないで、ね。
完璧にやろうとなんてせず、10回に1回、立ち止まれたらラッキー!くらいに、緩く実践するのがコツです。
ずっと自分に対して厳しくするのが当たり前だったのですもの、いきなり自分に「友達のように接してみよう」と思っても、なかなかくすぐったくて上手にいかないものですから。
それにね、もしも友達が何かに挑戦して失敗したらどうでしょうか?
苦手なこと、失敗ばかりしてきたことにトライする友達に対して「またダメだったのね」なんて冷たい視線を向けたりしませんよね?
むしろ、何度もうまくいかないのに頑張る友達のことを「すごい!尊敬する!」「フレーフレー」って応援するのではないでしょうか。
自分にも『少しだけ』、友達に向けるようなまなざし、思いや言葉を向けてあげてみませんか?
自分を責めたり、ダメだったと肩を落とすあなたは、素敵な人に成長したいという意欲のある素敵な人です。
そんなあなただからこそ、大切にしてあげなくちゃですよね!
傷ついて、肩を落として、頑張る力がないくらいヘトヘトなあなたに、友達だったらどんな接し方をしてあげたいと思うでしょうか?
何も言わず、ただあふれる不満を聞いてあげるのも素敵なサポートです。
好きなものを用意して、これを食べて笑顔になろうね!って言ってあげるのも優しい援助ですよね。
理不尽なことに一緒になって「むかつくよねー」って怒りの呪詛を唱えてくれたら、ちょっと心も楽になりますよね。
そんな風に「友達にだったら、どうするかな?」を、時々思い出して考えて、そして自分にできる範囲で届けてあげられたら、少し心が軽やかに、あなたが笑顔になれるかもしれません。