なぜ「呼吸」なのか?
寝たきり老人の重度化予防についての連載が始まって今回で4回目ですが、先月の「変形・拘縮」に続いて今月は「呼吸」がテーマです。身体の変形・拘縮は目に見えますが、「呼吸」となるとなかなか気づけないと思いますし、そもそも「呼吸」と「重度化予防」がどうつながるのか?普通はあまり意識されていないと思います。でも、業務として重度な障害の寝たきり老人さんのケアに当たっている方の中には、気付いている方もいらっしゃるのではないでしょうか?実は「身体障害を抱える要介護高齢者さんの呼吸の問題」は、寝たきりになってしまうよりもはるかに前の時期~歩けなくなって車椅子を使いだした頃から起こっているのです。呼吸状態が悪くなるとともに重度化が進行し、最後に寝たきり状態になった時にはなおさら苦しい呼吸状態になっていることがほとんどです。
寝たきり老人の「呼吸」状態
既に気づいている方もいらっしゃると思いますが、改めて寝たきり老人さんが陥りやすい「呼吸状態」について分かりやすくまとめてみます。
*寝たきり老人さんの呼吸は、
・浅くて早い呼吸になっている。1分間に30回くらいの方も珍しくない。
・舌根沈下しており、空気がのど~気管を滑らかに流れず、「ゴゴゴゴ、、」というような呼吸音になっている。
・舌根だけではなく、下顎自体が開口している。口が開きっぱなしになっているだけでなく、下顎が後ろの方に引かれている。
・これは呼吸そのものではありませんが、頭蓋が伸展にそっくり返っている。
・上記のような状態でまともに嚥下ができず、口の奥~喉で唾液が「ぐちゅぐちゅぶちゅぶちゅ」いっている。そういう状況に対して定期的に看護師さんが「吸引処置」している。
いかがでしょうか?「そうそう!確かに!」と感じられる方も多いのではないでしょうか?
健常な呼吸とは?
では、健常な若壮年者の「呼吸」はどういうものでしょうか?正常な状態を理解していないと呼吸に支障をきたしている状態を見落とす、ということになりますので、簡単にまとめておきます。ページトップのアイキャッチ画像をご覧になりながら確認してみてください。
*健常な安静腹式呼吸
・1分間の呼吸数は12回~18回。20回だとやや多いかな?25回以上では「頻呼吸」。
・横隔膜(という名前の筋肉)の筋収縮により、空気が胸に入っていく。(吸気される)
・リズム/タイミングとしては、吸気1~呼気1.5~休息停止1弱、となる。
・基本的には口が閉じられたまま、鼻で呼吸している。(鼻呼吸)
・胸(肺)の中に吸気されだすと(横隔膜が足元側に下がるために)「お腹」が膨らんでくる。続いて胸が少し広がり持ち上がる。
・呼吸のために横隔膜が「収縮~弛緩」を繰り返している以外は、呼吸のために活動~筋収縮する筋肉は無い。(呼吸のために頸部や胸郭の筋肉が活動するのは“胸式呼吸”)
私たちはつね日頃、こんな風に安楽に「呼吸」しているんですね。すでに書いた「ありがちな寝たきり老人の呼吸」に比べると、なんと違うものなんだ!と思います。
要介護状態になって始まる「呼吸障害」
さきほど、「歩けなくなって車椅子を使いだした頃から(呼吸障害が)起こりだす」と書きました。具体的には。写真で示すような「すべり座り」で車椅子に座るようになると、呼吸状態が悪くなっていきます。なぜかというと、写真で見ると分かる通り「車椅子上すべり座り」では、背中が丸まって胸郭(お腹と胸)が押しつぶされているから、ですね。例えば私たちがラジオ体操で深呼吸をする時、目いっぱい空気を吸い込む時は思い切り胸を張り背スジを伸ばします。その方が、胸(胸郭)が大きく広がるからです。逆に深く息を吐き出す時は背中を丸めて胸(胸郭)を少し潰して、息を吐き切るわけです。車椅子上ですべり座りのまま、円背になって胸郭を押しつぶした姿勢のままでいるというのは、私たちが息を引き出しきった姿勢のままでいる、ということになります。息を吐き出しきった姿勢のままで、吸気~呼気を繰り返す、ということです。そういう状態では、深く息を吸い込むことができなくなります。ぜひ、車椅子ですべり座りになっている方の呼吸回数を数えてみてください、ただ車椅子に座っているだけなのに1分間の呼吸数が20回くらいになってしまっている方が普通にみられます。
安静腹式呼吸に支障が生じると
私たちであれば当たり前に行っている安静腹式呼吸に支障が生じて、いつも毎分20回かそれ以上の呼吸状態になると、単に呼吸が浅く早くなるだけではなくて他にも身体生理機能に悪影響が起きてきます。簡単に箇条書きすると、
・嚥下しにくくなる。飲み込む瞬間には一瞬呼吸が止まります(嚥下性無呼吸)が、浅くて早い呼吸では、一瞬息を止めての嚥下が行いにくく、むせやすくなります。
・むせる際の呼出力も低下し、誤嚥しやすくなる。息を深く吸えなくなっていますから、ゴホン!とむせ込む瞬間にも、誤嚥しかかったものを呼出する力が弱くなってしまいます。
・胸式呼吸が惹起され身体の筋肉が強張り出す。想像してみてほしいのですが、「息苦しさが続くと身体が強張っていく」ものです。苦しいから力が入っていく、ということもありますし、呼吸という面でいうと胸式呼吸を行なうための筋肉が常時働き出します。当然、安楽に腹式呼吸ができている時に比べて息をしている“だけ”で「疲れる」ということになります。分かりやすく言うと、すべり座りのままで車椅子に座らされている方は、すぐに「寝かせてくれ~」という訴えが聞かれやすくなります。
「呼吸状態の悪化」は障害重度化の大きな要素
車椅子の座面の上でお尻が前に滑り出た「すべり座り」では、円背に体幹が押しつぶされ、呼吸が浅くて速くなるということは、なんとなくでも直感的に分かるのではないか?と思います。しかし、呼吸状態が悪くなっているのは標準型車椅子ですべり座りになっている方だけではありません。標準型車椅子利用時よりも身体障害重度化が進んでしまって「リクライニング型車椅子」を使うようになったり、さらには「医療介護用背上げベッド」を使っていたり、寝たきりになって拘縮が進んでしまって褥瘡予防のために「エアマット」を使っている方など、むしろ障害が重度化していくにつれて呼吸状態が悪くなっている=浅くて速い呼吸になっている、という様子が確認できます。そして呼吸状態の悪化に伴って前項の「呼吸状態の悪化に伴って起こる支障状態」も悪化していくのです。つまり先月取り上げた「身体変形・拘縮」と同じように「呼吸状態の悪化」を、身体障害の重度化の「要素」として認識するべきです。「身体変形・拘縮」の悪化は一見して気づけますが、「呼吸状態」の悪化はもしかしたら見落とされていることが多いかもしれません。
呼吸状態を決める最大要因は「姿勢」
では、要介護高齢者様の身体障害状況とともに悪化していく呼吸悪化の原因は何でしょうか?先にあげた例で「一番最初に呼吸状態が悪化するのは“車椅子上のすべり座り”」と紹介しましたが、すべり座りで体幹が円背に潰されてしまうことが呼吸状態悪化の直接原因です。つまり、姿勢の崩れ/悪化が呼吸状態悪化の最大原因なんですね。例としてあげた「標準型車椅子上での姿勢の崩れ」の他、「リクライニング車椅子(背もたれ長くてが後ろに倒れる車椅子)」や「医療介護用ベッドの背上げ」、「寝たきりレベルで敷かれているエアマット上での姿勢の崩れ」など、車椅子を使いだした段階から重度化が進んでしまった寝たきりレベルに至るまで、要介護高齢者様の姿勢の崩れと呼吸状態の悪化が非常に目立ちます。様々な段階における姿勢の崩れを直し、重度化を予防していく大切な介護技術が『車椅子シーティング』であり『臥位ポジショニング』となります。これらの技術は、残念ながら未だに看護・介護・PT/OTの養成校では体系立てて教えられていませんが、要介護高齢者様の重度化予防のためには、今後の普及が必須と考えています。この連載でも今後、紹介していきたいと思います。