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介護ココロのケア

見つければ見つけるほど、自分を笑顔にして愛せるようになるものってなぁ~んだ?

ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのトサです。

突然ですが、あなたは自分の「魅力や価値」をどれくらいご存じでしょうか?

あなたってどんな人?

と聞かれたら、えっへん!と胸を張って自分の「素敵なところ」をいくつ言えるでしょうか?

謙遜しなくていいんだよ。あなたはステキなところがいっぱいあるから。

国民的な気質とか、脈々と受け継がれてきた「こうあるべき」というものの影響で、日本人はどちらかと言えば

謙遜が美徳!

という文化がありますよね。

まだまっさらな小さな子供時代は、謙遜なんて知らないので「オレ、〇〇が出来てすっげーんだぜ!」なんて言えちゃっていたはずなのに、それを見ていた親や先生が「やめなさい!」「できない人もいるんだから人前でそんなこと言っちゃダメ!」という風に教えられたり、親が使っている「私なんて全然です…」というような謙遜の姿勢を見ているうちに、だんだんと「謙遜するべきなんだ」と学んでいきます。

しょうがないですよね。
だって、自分が属している世界が「謙遜は美徳」で染まっているんですもの。
自分も同じような考え方をして、世界からはみ出ないようにしようとしますもんね。

しょうがないんです。
だって、お箸の国の人だから…。

でもね、この「謙遜」がいつの間にか染みつき過ぎて、自分の良さを全く受け取れなくなってしまっていたら、それはあなたを生きづらくさせる『呪い』になってしまっています。

冒頭で書いたのですが、再度お尋ねします。

あなたの魅力・価値・素敵さを、パッといくつ挙げることができますか?

* * *

と、皆さんにお伺いしながら、実は私も「私の価値や魅力」というのを長いこと無視し、「欠点や情けなさ・ダメな自分」ばかりにフォーカスして自分いじめを繰り広げてきました。

当然ですが、自分の「ダメポイント」ばかりが見えているので、自己肯定感なんてないも等しい状態。

今は自分を「思いやって大切にする」ことが出来るようになり、ポンコツな私であっても「私だからいいことろがあるよね!」なんてウインクできる…ようになりましたが、正直言うと

今世で自己肯定できるようになるのは、無理過ぎるだろう。
自己肯定力は来世に持ち越しだ…

とすら思っていました。

そんな中、心理学の講座に通っていた時期にとある課題が出されました。

課題は『自分の価値・魅力を100個見つけること』というもの。

この課題、自分嫌いをこじらせまくっていた当時の私には、果てしなくしんどく無理に思える課題でした。

なんとか数個捻りだすことはできても、途中から吐き気がしてくる始末。

だって、私は私の「嫌いな部分」ばかりを集めて生きてきたので(壊れそうなものばかり集めるガラスのン十代…)、自分に価値や魅力があるなんて思ったこともなかったから。

お前なんか大っ嫌い!
アンタなんて価値も素敵さもない!!

と、常日頃自分をいじめていたので、いじめっ子が急に手のひらを返して「あなたってマイペースさが素敵よね~♡」「あなたがしてくれる笑顔の挨拶っていいよね!」なんて言われても、白けるというか信じられないだけじゃなくて

吐きそう!!
無理!!!

となって、思考停止に陥りました。

もちろんこの課題は、簡単じゃないから出されている課題なので、自分一人でやらずに周りの人にお願いして

私のいい所・好きなところを5つ教えて

と、人から集めることもOKなのですが、いや、これがまた別の意味で悶絶ものでした。

自分では探せないし、でも人に聞いて届けてもらった「いわゆる褒め言葉」が受け取れなくて、これもまた吐きそうになる始末。

でもね、本当は誰しもが「素敵な魅力」「あなただから輝く個性」「長所や秀でている面」を持っているんです。

さっきの質問ですが、あなたの職場の同僚やお友達が「宿題で私のいい所を人から5個教えてもらうっていうのがあるので、協力してもらえない?」と言われたら、きっとニッコリ笑って目の前の人の素敵さを届けるのではないでしょうか。

それと全く同じで、自分では気づけていなくても「周りの人には見えちゃっている・漏れちゃっているあなたの魅力」っていっぱいあるんです。

当たり前にやれることは”価値”だと受け取れないのはなぜ?

課題をやってみて分かったのは、複数人から「同じこと」を魅力だと言われることでした。

例えば、私の価値や魅力について一番多かったのが「やさしい所」というものでした。

…が、自分では全くそう思っていなかったので、どうにもこうにも受け取れないんです。

やさしい、って素敵なことですよね?
それなのに、自分にその「素敵な要素」があるということを、頑なに拒んで「いやいや、人前だから優しいだけです!!」などと抵抗して、価値を全く受け取れませんでした。

じゃぁ、どうして受け取れないかというと、自分の中に当たり前にあるものって

当たり前すぎて価値があるように見えない

というまさかの盲点!

それに加えて、自分の中に当たり前に備わっている=普通にやれてしまうことなので、「こんな程度で…」って思ってしまうんです。

たとえばですが、私は球技全般が全くダメです。
バレーボールなんて、レシーブの仕方を何度教わっても、ヘンテコな方向にボールを飛ばしてしまい、うまくパスすることができません。

でも、同じことを同じように習って、すぐに習得してできちゃう人もいるんですよね。

そしてその人に「なんでできるの?すごーーい!!」と羨望の眼差しを向けますが、その人はケロリとして言うんです。

え、別にすごくないよ。
私、全然下手だよ!!

普通にレシーブできるだけではなく、もっとうまくないと「スゴイ」って認められないんです。
普通のレシーブは、その人にとって「簡単に出来てしまうこと」で、当たり前にやれちゃうことだから。

でもね、その当たり前は「当たり前にできない人から見たら、全然当たり前じゃない」んです。

あなたにとって「当たり前」にできることには、あなたの持つ力や魅力・長所がゴロゴロしているんです。

価値や魅力を受け取れないのはなぜ?

自分の中で「当たり前にやれてしまうこと」だからこそ、この程度で…と、私たちは自分に厳しい目を向けがちです。

私の場合は「優しさ」という評価がどうしても受け取れなかった際に、こんな質問をされました。

あなたが認められる「優しさ」の基準、ここまで行けば「優しいのよね、私!」って言える基準って何?

えっ?
そんなこと今まで考えた事なかった…。

でも、自分を否定したり受け取れないという事は「ここまで行っていないとダメ」という基準があるからなんですもんね。

そこで出てきた私の答えは、コレでした。

だって私、マザー・テレサじゃないもん。

私の中の「優しいって言ってOKライン」は、無私の愛で奉仕し、ノーベル平和賞を受賞できるほどのレベルに達していること…だったんです。

これ、基準が高過ぎませんか??
でも、本当にそう思っていたから、周りの人が感じてくれていた「私が持つ優しさ」というのを、価値として受け取れなかったんです。

そしてね、基準が高いのも先のバレーボールの例ではありませんが、自分には当たり前に備わっていたり・簡単に出来てしまう事だから、もっとできるようになってからじゃないと認められない!と思っちゃうんです。

基準が高過ぎることを、周りの人の指摘で気付くことで、ようやく「歯を食いしばって」自分の価値として届けてもらったことを受け取ろうと思ったのですが、ここでまた自分の中で葛藤がありました。

それをゆっくりゆっくり、時間をかけてほどいて分解していったら出てきたのはこんな言葉でした。

自分の魅力を受け取る=認めるっていうことだから、抵抗するんだな…って。

認めるって、いわゆる「白旗をあげる」という行動ですよね。
素敵なとこがある・価値があるなんて「意地でも思うか!!」と言うくらいに頑なに自分を否定して生きてきたのに、ここで自分の価値を受け取ってしまったら

私にもちゃんと価値があるって認めることになっちゃう。
そんなの困る!!

という心の動き・心の抵抗が、受け取ることを拒否し続けていたんです。

価値や魅力を受け取ると、どうなるの?

私たちは、なぜに自分を否定したり、より良く思われたい!と頑張るのでしょう?

それは、認めてもらいたい・愛されたい・褒めてもらいたいから、ですよね。

でも、自分が自分の価値や魅力を「絶対にそんなものはない!!」と否定している限り、いくら人から認めてもらえても受け取れないので、もっともっと!!と外からの評価を求めようとしてしまいます。

それは、空のコップを満たすために水を入れて欲しい、と言っているのと似ています。
空のコップを手にして、一生懸命頑張るから、そのご褒美に水を入れて欲しいと差し出すのに、そのコップにはしっかりとラップが張られていて水をはじき返してしまうので、コップの中身は一向に溜まらず、もっともっと頑張らないといけないと自分を疲弊させていきます。

頑張らなくても最初から、あなたにはたくさんの素敵さがあるのに、出来ることがいっぱいあるのに、ね。

当たり前ですが「ある」と思わないと、目の前にあっても見落としてしまって「ないよ!」と見えなくなってしまうように、自分にも価値や魅力が「ある」という前提を持つことが大事です。

そしてね、私たちは頑張って・より良くなることで「認めて欲しい」と願いますが、24時間・365日ずっと共にいる存在である自分がずーーっと自分にダメ出しばかりしていたらどうでしょう?

疲弊するばっかりで、自分の魅力や価値が輝けませんよね。

その逆に、常に側にいる自分が自分のことを「分かろう」「認めよう」「見つけよう」として側にいてくれたらどうでしょうか?

心強くなれますし、元気だって湧きそうじゃないですか!!

とはいえ、私自身が実践して思うのは…

自分の価値や魅力という「素敵な面」であっても、受け取れるようになるまでは簡単じゃない!!

ということでした。
自分のことを良く思えていない人ならば、すぐには価値や魅力は受け取れなくてもしょうがないんです。

だから最初は、受け取ることを目指さなくていいので「私の価値や魅力ってなんだろう?」「あるとしたらどんなことだろう?」「当たり前すぎて価値だと思えていないんだなー」と、ちょっと離れた位置から見てあげることからスタートしてみてくださいね!

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トサ

トサ

グリーフケア・アドバイザー

株式会社ドットコム・マーケティング在籍。 2021年、グリーフケア・アドバイザー1級取得。 2022年、動物医療グリーフケア・アドバンス講座終了、23年10月よりペットライフグリーフケアアドバイザー認定に向けてステップアップ予定。 人生で最もつらく答えのない苦しみに対峙するのが喪失体験です。『哀しむことは愛すること』という言葉を胸に、愛で見守り・愛で受け止め・愛で支えるグリーフケアを目指しています。 グリーフケア分野以外のお悩み相談・カウンセリングでは、自分に優しさを向けて思いやり、自己受容する生き方のサポートを得意とする。

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