ケアカレッジ「介護のココロのケア」担当、グリーフケアアドバイザーのマミコです。
最近はマーケティングやビジネスの世界でも「ペルソナ」という言葉を耳にされる方も多いと思います。
このペルソナ(仮面)という言葉は、心理学者のカール・グスタフ・ユングが提唱したもの。
ペルソナというもともとの意味は古代のローマ古典劇で役者さんが身に着けていた「仮面」のことを指します。
ペルソナとは
私たちは誰しもが、社会生活をおくる中で様々な「顔」を持っています。
「親」としての顔もあれば、「夫」「妻」という顔、会社に行けば「営業担当者の顔」「経理のスペシャリストの顔」「スーパーのにこやかな店員の顔」「介護スタッフとしての明るい顔」といったように、普段の生活の中でシーンごとに違う「仮面」をつけて暮らしています。
心理学の用語では「ぺルソナ(表の顔)」と「シャドウ(裏の顔)」という用語がありますが、私たちは置かれた場所で当たり前のように『自分』を演じます。
周りに見せている『その人の表面的な面』である外側のペルソナの下には、周りに見せていない「私」というのが隠れています。
ものすごくザックリというと、隠したり禁止したりして嫌悪しているものが『シャドウ』です。
ペルソナは先ほども少し例を挙げたように「子供の前では母の顔」「夫の前では妻の顔」というように、演じ分けているというよりはシーンに応じて見せている角度が違う場合もあります。
また、家族の前では見せない「働いている時の顔」「友人の前の顔」というように、付き合う間柄によって必要な仮面をつけたり、いらない仮面を脱いだりします。
これは、誰でもやっていることでそれ自体は悪い事でも何でもないことです。
けれど、ペルソナは「仮面をつけて演じている」状態なわけですから、本当の自分(という表現が正しいかは別として、自分の性格や資質を体現した自分)を偽って演じるためのペルソナを『脱ぐことが出来ない』となると苦しいですよね?
すると、自分を苦しめたり押さえている自分を解放するための「アンダーグラウンド」と呼ばれる場所が必要になってしまいます。
“いい子”な私のアンダーグラウンド
「いい子」や「優等生」をしてきた人は、ずっと「いい子」という仮面をつけた状態を周りの人に見られています。
いい子はそのままいい部下・いい上司…と「いい人」の仮面をつけて生きていきます。
その仮面を付けた状態でいることに居心地が良ければ問題はありませんが、「いい子」や「優等生」でいる人は、往々にして頑張り屋さんだったり完璧主義だったり、弱音を吐けずに自分を追い込んでしまいます。
・お母さんを悲しませたくない
・人に迷惑をかけるなんていけない事だ
・上司を失望させたくない
・雇ってよかったと思われたい
・失敗して周りをがっかりさせたくない
・今以上の結果を出して喜ばせたい
こんな思いを抱き、頑張り過ぎる傾向があります。
そして、実際に頭が良かったり仕事がバリバリできたりすると
「〇〇さんってすごいですね!」
「〇〇さんのおかげだわ」
と言われることが多くなり、周りからの評価の仮面である「すごい自分」を演じなくてはいけないがゆえに、
人前でダメな部分や弱さを見せられなくなっていきます。
「〇〇さんってすごいのに忘れ物が多いよね!」
「〇〇さんはいつもテキパキしてるけど、お酒を飲むと結構だらしないよね」
なんて言われるくらいに、ダメな部分や隙が見せられればいいのですが…
いい子・いい人ほど「過大な期待」を自分にかけてしまい、自分を追い詰めてしまいます。
・売り上げ達成は当たり前!人の倍は売上なきゃ!!
・もうしんどいけど、音を上げてはいけない!!
と、自分に厳しく「ドM」な追い込み方をしますが、この状態になってしまうと「このくらいで褒められたり満足したらダメだ!!」と自分に言っている状態なので、周りの人からの「すごいなぁ」「君のおかげだよ」という評価を受取れなくなります。
一見、優等生やいい人で「なんでもできる」一目置かれる存在に見えますが、本人を頑張らせている原動力は『これではダメだ』という自己否定ですから、実は自己肯定感がとても低い状態です。
心の中には、不安や自分を忌まわしく感じてしまう感情がたくさん存在しています。
そして、外側で見せている自分と内側の自分とのバランスがどんどん乖離して、心の中にずっしりとストレスが溜まっていきます。
光と闇、陰と陽というように、人間にも「長所」があれば「短所」もあります。
いいと思える自分の性質もあれば、ちょっと難アリ…と思う性質だってあります。
いい子のペルソナをつけてしまい、それを脱ぐことが出来ないと、どんどん闇の部分が膨れていきます。
ダメな私を出せる場所はない…と、ダメな自分を懸命に抑圧しますが、あくまで抑えているだけです。
人に隠している”ダメな私”はなくならず、どんどん蓄積されていきます。
すると、そんな「ダメな私」を表現する場所が必要になり、アンダーグラウンドを持つようになります。
ある人は誰が聞いても「頭いい!!」とうなってしまうような有名大学を卒業して、研究職としてバリバリ働き、どんどん頭角を現し、部下への配慮もできる職場での憧れの上司でした。
けれど、プライベートでは全く別の顔でした。
部屋を片付けることが出来ずに散らかり放題で、一人の女性とは長くお付き合いを継続できず、特定の恋人がいるのに浮気相手もいました。
職場に行くときの服装はきちんとしていて清潔感がありましたが、週末になるとお酒を飲みすぎてしまい酩酊状態になり、お風呂にも入らずにだらしなく過ごすことが常でした。
またある女性は、成績優秀で親からの期待を一身に受けていました。
期待に応えるために努力し、親の望む企業への就職を果たし、同世代よりも高い収入を得ていました。
けれど、彼女は親に言えないところで借金を作るまでに浪費していました。
ここに挙げたことはあくまで一例で、他にもたくさんの事例があります。
彼・彼女の姿は「期待を背負った私」を演じ続ける中で、自分への期待が大きくなり過ぎたばかりに、自分を演じきれなくなり、困り果てて楽屋でうずくまっているかのように見えます。
外で「いい顔」のペルソナをつけ続けなければならないと、自分のダメな部分や弱さを抑圧せざるを得なくなり、ダメな私が行き場をなくすと『自分を傷付ける行為』に走り、そうやって心のバランスを取ろうとしてしまいます。
アンダーグラウンドが自分をさらに追い詰める
いい子とダメな自分のバランスを保つために、心は「アンダーグラウンド」を持つことで、何とか自分が壊れてしまうのを防ごうとします。
ですが、アンダーグラウンドという言葉が表すように、表(人前)では見せられない世界です。
いい子・優等生・模範的な生き方をして「周りの期待に応えよう」と思っている人にとっては、「人には見せられない」「とてもいいとは思えない」世界であるアンダーグラウンドな環境を欲していること、またはそこに身を置いてしまうことに嫌悪感や罪悪感を持ちます。
不倫や過度なアルコール摂取、ギャンブルやアブノーマルな性行為、借金やゴミ屋敷…
どれも望ましいものではありませんし、人に言いたいものでもありませんよね。
表社会で見せている「ちゃんとしている」私が持っている裏の社会は、決して人に言えない秘密です。
すると、隠している分だけその「裏社会」が大きく感じられていき、行き場のない苦しみを抱えるようになります。
まさかオレが、金遣いが荒くて借金だらけで支払いに頭を悩ませているなんて、とてもじゃないけど友達にも言えないし、信じてもらえない…
まさか私が、お酒を飲まないと落ち着かなくて、毎晩ワインを数本あけて記憶をなくしているなんて、誰にも言えないし分かってもらえない…
いい人の仮面をつけて演じている人ほど、自分にも期待をしているのですから、裏社会・裏の顔のある自分に罪悪感を募らせます。
本当はいけないことなのに、やめられない。
またお酒を飲んでしまった。
今日こそ掃除をすると決めていたのに何もしなかった。
カードの支払額が足りないのに、またネットショッピングしてしまった。
彼女がいるのに、どうしても別の女性と会うのをやめられない…
こんな自分が嫌いだ。
こんな自分が許せない。
と、自分の持つ「裏社会」での顔を嫌悪し、罪悪感で自分を責めます。
罪悪感は自分を罰する感情であり、自分が幸せになること・愛されることを全力で禁止・邪魔する感情です。
つまり、裏の顔を持つ自分は幸せになってはいけないと”制限もつけるようになる”んです。
いい子のペルソナを脱ぐワーク
いつもいい子を演じてしまう、つい自分を責めてしまう、周りの人の期待に応えるために頑張り過ぎてしまう。
「表の顔」ではニコニコと明るく振舞っているのに、家に帰ってくるとグッタリして力尽きている自分がいたら、いい子の自分に「白旗をあげる」ために、ぜひこんな言葉をつぶやいてみてください。
私はずっと「ちゃんとしなくちゃ」っていい子で生きてきました。
家でも会社でも、期待に応えようとして「できない!」って言わずに挑戦し続けました。
ずっとずっと頑張ってきました。
今も頑張っています。
でももう、限界です。
私、全然大丈夫なんかじゃないんです。
私、本当はすごく弱くてカッコ悪いんです。
これが本当の私です。
頑張れなくて大丈夫じゃない私が、本当の私です。
でも、それじゃだめだと思って一生懸命に頑張ってきました。
だけどもう頑張れません。
私、もう頑張らなくていいですか?
こんな私でもダメじゃないって言ってくれますか?
こんな私を愛してくれますか?
お願いです。
誰か私を助けてください。
いい子のペルソナをがっちりとつけてしまっている「頑張り屋さん」で「ちゃんとしている」人ほど、この言葉をつぶやくことが出来ません。
涙があふれて声にならない人もいます。
この言葉に詰まってしまうというのは、それだけ「頑張ってきた」という事です。
抵抗を感じるくらい、自分を我慢させてきたという事なんです。
頑張れない私にも価値があるんです。
ダメな私でも愛されていいんです。
何もかもを背負って「いい子」でい続けなくていいんです。
助けてもらって、荷物を持ってもらっていいんです。
白旗を上げちゃいましょう。
もう、いっぱいいっぱいなんだって認めちゃって、頑張り屋さんのペルソナをほんの少しでいいから取り外せる「弱い私」を許してあげましょう。
「いい子」はちょっとくらいいい子を緩めても、十分すぎるくらいに「いい子」です。
だから過度な「いい子」をやめても、ちゃんと「いい子」のあなたでいられます。
アンダーグラウンドを持つしかないくらい、いっぱいになるほどに苦しんでいる自分を、頑張り過ぎている自分を責めるのではなく、どうか「助けて」って言えるように、裏の顔を必要とする自分を癒して、力を抜いていけるようになれますように。