2019年に導入された特定技能という在留資格。
介護分野においても人材不足解消のためとして外国人スタッフの受け入れが進められてきましたが、それは日本人介護職の処遇改善の障壁にならないのか、といったことが、かつて議論されていました。
ですが、「人手不足を補填する人材」ではなく、これからは「共に働く仲間」として働きやすい環境を整える、という発想転換が必要です。それは、外国人に限ったことではありません。多様な背景や事情を抱えた人々が共に働く、という点において、なんら違いはありません。
異なる文化背景を持つ外国人介護スタッフの受け入れのために、どのような準備や心構えが必要か考えることは、働きやすい職場づくりにもつながります。
中国人留学生が見た日本の介護
新潟医療福祉大学の大学院で学んでいる楊さんは、中国出身です。楊さんは、日本の個々に適した介護サービスを調整する役割を担うケアマネージャーの存在に感銘を受け、ケアマネジメント関連の研究を進めていきたいそうです。
本誌の訪問取材に楊さんにも同行しててもらいましたが、入居者が大切にしてきた価値観や趣味を否定することなく可能な限り受け入れようとするスタッフの姿が印象的だったようです。

良い政策もところ変われば?
中国では儒教の影響を受けた、「子は親孝行を尽くす」を意味する「孝順父母」という思想が家族介護を基本とした高齢者介護を支えてきました。
一人っ子政策の影響でその前提の限界も見えていますが、それでも、「孝順父母」の価値観は強く、在宅介護を中心とした高齢者福祉政策が検討されているようです。家族による世話に価値を置く中国で、外部のサービスを取り入れ、調整するケアマネジメントは果たして受け入れてもらえる仕組みなのでしょうか。
ケアマネジメントに興味のある楊さんの研究テーマが今後どのように発展していくのか、私も興味津々です。
同じ言葉でも異なる考え方
以前、様々な出身国の学生たちと「看取り」について話し合ったことがあります。「看取り」は外国語に訳しにくい言葉なのですが、改めてその考え方が国や立場で異なることを知りました。
日本国内でも、立場によって「看取り」が意味するところは異なります。医療・介護従事者にとっての「看取り」は亡くなる前からある一定期間行われる医療的ケアを含む営みですが、家族にとっては、亡くなる瞬間に立ち会うことを意味します。
文化が異なると、「看取り」に相当する共通の考え方はなく、息を引き取る前からお別れの準備が始まり、息を引き取った後もお別れの儀式が続き、その一連のプロセス全体を「看取り」と考える国もあるなど、様々です。
訳すこと自体が困難だったり、訳しても深いところでの考え方が異なっていたり・・・言葉の問題は単に日本語ができるできない、といった言語運用能力に収まりません。
「やさしい日本語」はみんなにやさしいことば
外国人が増えると英語の力が必要だ、という思い込みが根強くあります。お互いの言葉が理解できない場合は、共通言語として広く使われている英語はパワフルなツールかもしれません。
ですが、日本で暮らす外国人の多くが理解できるのは、英語ではなく日本語であるということがわかっています。尊敬語や謙譲語、オノマトペ、漢語を使わない、文章を短くする、などの工夫をすることで、必要な情報が伝わりやすくなります。
そのような話し方を「やさしい日本語」といいます。文化庁も日本に住む外国人の支援として「やさしい日本語」のガイドラインを作成し、推奨していますが、「やさしい日本語」は外国人のためだけのものではありません。
高齢者や、障がいを持った人にも伝わりやすい、介護現場にこそ必要な「やさしいことば」だといえます。
宗教への理解は配慮ではなく人権の問題
最後に、宗教について触れておきたいと思います。日本のあらゆる場面で遅れているのが、宗教に関する理解と環境整備です。日本では宗教は儀礼的な側面が強いため、宗教に基づく信念がその人の根幹を成し、生活や人生の一部であるという重みを理解することは難しいかもしれません。
ですが、お祈りの時間や場所、食物禁忌、服装などの宗教上のきまりごとを理解し環境整備に努めることは、配慮ではなく人権を守ることに他なりません。「郷に入っては郷に従え」という考え方で我慢や、諦めを強いる問題の深刻さに目を向けることは、共生社会を作る第一歩になるでしょう。