今からちょうど10年前の2015年、「新三本の矢」のひとつとして《介護離職ゼロ》という政策が打ち出されました。
これは、団塊の世代が75歳以上となる「2025年問題」に向けた対策の一つでした。 当時私は、「介護職員の離職を防ぐための政策だ」と思い、嬉しく感じたものです。ところが実際は、「一般企業で働く人が、家族の介護を理由に離職することを防ぐ」ことが目的で、少しがっかりした記憶があります。――企業活動の停滞が生産性の低下につながる、という視点だったのですね。
そして2025年になった今、《介護離職ゼロ政策》は果たしてうまくいったのでしょうか。 「介護はプロに任せる時代」と掲げられましたが、現在は人口減少の影響もあり、介護現場では人手不足が深刻化。ベッドが空いたままの施設も見られます。一時は「500人待ち」と報道されていたのに、あのニュースは何だったのかと思うほどです。 10年という月日は、長いようでいて、社会が大きく変わるには十分な時間なのかもしれません。
介護職員と家族との距離感
「介護はプロに任せよう」という流れの中で、私たち介護職員は、家族の代わりに介護を担う役割を引き受けました。とはいえ、家族と利用者との関係には、それぞれ異なる背景や物語があります。私がこれまで関わってきた中で、「介護施設に入所するに至るまでのケース」をいくつかご紹介します。
① 在宅介護が物理的に難しい場合
病気やけがなどにより、介護する時間や体力が足りないケースです。娘さんや息子さんがご自身も病気であったり、孫の世話で手一杯だったりすることもあります。お世話する側とされる側のバランスが取れず、施設を希望されるご家族が多く見受けられます。
② 愛情を出せない状態
介護の負担が重なれば、どんなに思いがあっても愛情が薄れてしまうことがあります。「親を介護するのは当然だ」というプレッシャーは、当事者をさらに追い詰めてしまいます。中には終わりの見えない介護に心身ともに疲弊し、怒りや虚しさを抱えるご家族もいます。そんな方に対して「こうすればいいですよ」とアドバイスすることは、時に逆効果です。
③ 本人の意思で施設を選ぶ場合
「家族に迷惑をかけたくない」と、自ら施設を探し、入所される方もいます。 良好な家族関係の中で選ばれることもあれば、過去の葛藤から家族と距離を置いて決断されることもあります。いずれにせよ、本人が主体的に選んだという点が特徴です。
このように、介護施設を利用される方とそのご家族には、複雑な思いや背景があります。必ずしも「優しさ」や「絆」だけが理由ではないのです。
家族の想いと介護職員の役割
私が出会ったあるご家族の話です。
認知症のご夫婦が施設に入所されており、ほぼ毎日、高齢の娘さんが面会に来られていました。ただ、毎回細かい苦情をおっしゃるため、職員は緊張しながら対応していました。
申し送りでは「ご両親を大切にされている娘さんです。同じように丁寧に接して」と伝えられていましたが、現場から見ると正直、少し対応が難しいご家族でした。
ご両親は認知症が進んでおり、娘さんのことも忘れているようでした。面会中に娘さんがご両親を叱る場面もあり、「本当に大切にしているのだろうか?」と疑問に感じることもありました。
ある日、娘さんとゆっくりお話しする機会がありました。認知症になる前のお父さんやお母さんのことを尋ねると、さまざまな昔話をしてくださいました。
そして最後に娘さんがぽつりと、「私がなぜ父のことを嫌いなのか、やっとわかりました」と涙を流されました。
その日を境に、娘さんからの苦情は一切なくなりました。
そして1ヶ月後、ご夫婦は相次いで亡くなられました。
その出来事の意味を深く考えるつもりはありませんが、「良い家族関係」と思われていた裏側には、長年積み重ねられた複雑な思いがあったのだと実感しました。
最後に
介護職員に求められているのは、単なる介護業務だけではありません。
時には、利用者とご家族との間にある長い時間と感情の積み重ねに寄り添い、過去の関係を見つめ直すきっかけをつくる――そんな役割もあるのではないでしょうか。